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明治・大正・昭和のベンチャーたち
金子直吉 - 鼠と呼ばれた名番頭

目次

商売の傍らで古今の経済書を読破

 店主・よねは経営の一切を直吉に任せた。その信頼に応えるべく直吉は知恵を絞り商いに励んだ。あるとき直吉は新聞の社説に目をとめた。五州社発行の朝刊には「台湾の開発を論ず」という松方幸次郎が書いた社説にあったのだ。松方は川崎財閥に入る前に、この五州社の主筆を務めていたのである。社説を読み、直吉は感嘆した。これからは、台湾だと改めて思うのだった。こうして始まるのが台湾進出だ。明治30年。直吉の姿が台湾に向かう商船の中にあった。ときの台湾総督は後藤新平。直吉は台湾総督府に後藤新平を訪ねた。面会を求めた直吉は長いこと官邸のソファに待たされた。あまり長く待たされたものだから、ソファの上で大の字になり寝てしまった。後藤総督を激怒させるに充分だ。バカヤロウ帰れ!の怒声が飛んできた。しかし、直吉も負けていない。無礼な扱いに直吉は怒っていた。なら帰らせてもらいます、けれど台湾の役人は威張り散らすばかりで、何をやってもあかんのや――と、捨てぜりふを吐く。後藤新平はさすが大人物だ。帰りかけた直吉に「待て」と声をかける。

 直吉の目論見は樟脳にあった。しかし、後藤は台湾総督の専売を考えていた。通常ならばまとまる話ではない。直吉は説得力に長けた男だ。後藤は直吉の話に耳を傾けた。考えてみよう――と、後藤は約束した。そのあと直吉は台湾各地を旅している。商売のタネを探すためだ。その直吉を追いかけるように、総督府から報告が届いた。鈴木商店に台湾産樟脳65%の販売を任す――という吉報だった。これは大きな利権だ。小躍りする直吉の姿が目に浮かぶようだ。しかし、こんなことで満足するような男ではない。直吉は次々と新しい商売を手がける。その中には柳田が責任を持つ砂糖部門も含まれる。これが鈴木商店と台湾と最初の関わりとなったのであった。

体で覚えた商売

 神戸の一角に樟脳精製工場を作り、大量生産に乗り出し、工場から出荷する雪のような樟脳は、やがてヨーロッパやアメリカ、東南アジアに輸出されるようになる。豊富な原料を台湾に抱えている。量産体制を築いた工場から吐き出される精製樟脳は面白いように売れた。このころ鈴木商店は資本金50万円の会社となり、本社も栄町3丁目に移転していた。商売には新しい知識と古い旧の知恵が必要だ。商売の傍ら古今の経済書を次々と読破していく。中でも繰り返して読んだのは佐藤信淵の「経済要録」だ。これが直吉の頭脳を清冽な泉の如く明晰にさせ思考の翼を無限に広げさせることになったのだ。

 小柄の体躯にぎっちりと「商才」を詰め込み、21歳のとき土佐から神戸に出てきた金子直吉は神戸で激越な攻めの経営者に変わった。金子は大変な勉強家でもあった。経済書を懐にし、商売を体で覚え、覚えた商売のやり方を、古今東西の経済書で確かめる、そうやって事業家としての目を養ったのであった。樟脳精製工場の建設に続いて直吉が次に取り組んだのが、精糖事業である。直吉はまだ38歳。 鈴木商店の先輩番頭の柳田富士松が37歳。鈴木商店では砂糖を担当するのが柳田だ。直吉は柳田に相談した。当時の日本には大阪の日本精糖と東京の日本精糖があり、精糖業界に君臨していた。そこに割り込もうというのだから猛烈な反撃が予想される。だが、柳田はすぐに賛意を示した。

原価計算方式を編み出した男

 いまでいう企業化調査(FS)とでもいうべきか、直吉は工場を建設するにあたり原価計算をしっかりやっている。日本の経営者の中で、直吉は「原価」というものを最初に考えた男である。驚くべきことだが、製品の原価というものを経営手法として取り入れるようになるのはごく最近のことなのである。直吉が精糖工場として選んだのは北九州の大里だった。理由は源糖や石炭など原料の集荷が便利であること、用船と工場用水の確保などを考慮しての決定だった。何でまた九州などで――という疑問が起こった。気でも狂ったかのとも陰口をたたかれた。当時の考え方からすれば、工場は消費地に立てるべきだという考え方が主流であったからだ。つまり「消費地立地主義」だ。しかし、直吉は工場を作るにあたり「コストと原価」を綿密に決算しつくし、その上で立地を決めたのである。コストをいかに抑えるか、先発の両社に立ち向かうにはそれ以外にないと考えたのだ。これが当たった。地代や輸送費も安い。コスト競争力で優るのは当然だ。こうして鈴木商店は猛烈な追い打ちをかけた。追い込まれた東京と大阪の両精糖会社が反撃に出てきた。(つづく)

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