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明治・大正・昭和のベンチャーたち
岩波茂雄 - 出版文化の大衆化の功労者

 岩波茂雄は出版業界のベンチャーだった。明治から大正にかけての読書人といえば、一部のインテリだけだった。その書物を、一般市民の間に普及させたのは、岩波茂雄の功績によるものだった。江戸期から続く零細な前近代的な出版業を近代的な出版業に育て上げた人物を選ぶとすれば、真っ先に名前が挙がるのは、まずは岩波茂雄だろう。当時の出版業は文字通りの、リスクの大きなベンチャービジネスである。自伝や評伝を参照してみると、岩波が出版業を手がけるようになるのは大正3年9月のことと記録されている。彼が出版界の覇者として名乗りを上げるのは、いわゆる定価廉価を旨とする「岩波文庫」の出版だった。岩波文庫の出版は各方面から大きな反響を呼んだ。ポケットに入る文庫本は手軽で、廉価だから誰でも買える。文庫本は一気に読者層を増やし、こうして岩波は出版物を、大衆のものにすることに成功するのだった。

目次

夏目漱石への借金懇請

 最初に手がけたのは、近代文学の金字塔とされる夏目漱石の『こころ』だ。往事は古本屋に過ぎぬ「岩波書店」の店主岩波茂雄と、高名な文学者漱石とのやり取りは、いまでも出版業界に残る有名な逸話だ。当時の漱石は、いわゆる「売れっ子作家」だった。引く手あまたで、漱石の著作を出版したいと考える 書店は山ほどあった。できれば、名の通った版元を――と考えるのが普通だ。何しろ漱石は、文学を生業とする最初の日本人だ。唯一の収入は版元から得る印税なのだから、なおさらだ。岩波が漱石に懇請したのは、それだけではなかった。まあ、虫のいいことに、岩波茂雄は出版費用を出してくれぬか、と漱石に頼むのである。頼まれた漱石も、さぞかし困惑したことであろう。しかし、漱石は懐が広かった。わかった――と、岩波の頼みを聞き入れるのであった。漱石がベンチャーキャピタルを引き受けたことで、出版社として岩波書店はスタートを切るのである。

 岩波茂雄の出身地は長野県諏訪市の近郷だ。詳しくいえば、諏訪郡中州村だ。生家はいわゆる百姓屋で、村では「中の上」というほどの農家だった。記録によれば、明治14年8月27日生まれとある。父義質は温厚方正な、また文筆をよくする人だった。母親は学問こそなかったが、村の婦人会をリードするほど活動的で気丈な女性だった。明治20年に村の尋常小学校に入る。幼年時代の茂雄は、母親の血を継いだようで、いたずら好きな元気のいい少年だった。学業に飛び抜けた才能を示したわけではないが、それでも常にクラスで2番程度の成績だったという。尋常小学校を卒業し、中州高等小学校に進む。元気のいいいたずらものだが、不思議と人をまとめる才覚があったようで、中州高等小学校では、交友会を作り、自ら会長におさまっている。会長としてやった のは、いわゆる討論会だ。ずいぶんませた子供で、日本の国威発揚や海外進出の是非をめぐり、級友たちと侃侃諤諤の議論を交わしたそうな。

西郷隆盛に心酔した少年時代

 わけても茂雄少年が関心を持ったのは明治維新だったという。岩波は明治維新を、ひとつの革命ととらえていたようだ。革命には英雄的な人物が登場するものだ。維新に生きた人びとを思うとき、茂雄少年の血潮は燃えたぎった。なかでも格別な想いで崇拝したのは西郷隆盛だった。岩波の西郷崇拝は終生変わることなく続く。今ひとつ、岩波は明治天皇をこよなく愛した。もとより個人的な交友があったわけではないが、岩波が高く評価したのは「5箇条のご誓文」だった。岩波は「民本主義(いまでいう民主主義)」の根本原理と考えたからだ。すなわち、広く会議を興し万機公論に決すべし――で始まる、5箇条のご誓文だ。彼は岩波書店創業30周年を記念した晩餐会の席で、明治天皇に対する尊敬の念を改めて発露してみせたものだった。この明治天皇に対する特別な感情は、諏訪で過ごした少年期に芽生えたものであった。

 岩波が諏訪中学に入るのは14歳のときだ。明治28年のことだ。翌年、父義質は病に倒れ逝く。享年35歳だった。義質はもともと病弱で、百姓仕事が適わぬため、村役場に勤めた。父義質の死後、岩波は諏訪中学を中退する。しかし、学業の志は絶ちがたく、彼は中学への復学を切望した。その息子の気持ちを知った母うたは、深い理解を示し、翌年中学に戻った。後に岩波は両親を回想して、父親の「性質」を、「正直、頑固、親切、堅忍、勤勉」であり、母は「きわめて同情深く、きわめて活動的であり、いたって聡明であり、また、勇敢、剛毅、義侠の質に富み、活発快活にして隠すことを知らず」と書き、自分の気質の多くは母親譲りだと述べている。なるほど、中学時代の茂雄は母うたの気質をそのまま、各種の研究会を組織し、演説、討論会の先頭に立ち、登山や運動に精を出す、まことに快活活発な生徒だった。いや、中学生ながらにして、眼光炯々していて、短い絣の着物を身につけた姿は、やはり彼が敬愛した西郷の風でもあった。母うたの気質を受け継ぎながらも、岩波少年は小西郷を気取っていたわけだ。

 茂雄は岩波家の総領息子として生まれた。当時の家族関係は難しいもので、進路を決めるにも親戚一同の同意を必要とした。さて、茂雄は進学を希望した。しかし、岩波家の跡取りだ。自分勝手が許されないのが総領息子の立場だ、まして岩波家は当主の義質を失っている。そうあってみれば、中学卒業後は岩波家を継ぐものと誰もが考える。しかも当主を失い、家計も苦しい。親戚筋が茂雄の進学に反対するのも当然だ。茂雄の希望は日本中学を経て、第一高等学校から東京帝国大学に進むことだ。しかし、総領息子としての立場がある。岩波は思い悩んだ。息子の気持ちを知る母うたは旅費と学費を用立て、そっと東京へ送り出すのは、明治32年のことだ。日本中学に在籍したのはわずか1年に過ぎなかったが、彼は自由な校風を愛した。翌年、一高に挑戦する。しかし、見事に落ちた。翌明治34年に再挑戦し合格する。自伝を読むと、歓喜する茂雄の姿が浮かび上がる。

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