明治・大正・昭和のベンチャーたち

日本はいま百年に一度あるかどうかの一大変革期であり、新しいビジネスを生み出す絶好のチャンス。同じ変革期であった明治・大正・昭和の経済人たちから、無から有を為す技を学ぶ。

中部幾次郎 - 大洋漁業の創業者

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 明石市は東北部を神戸市に接していて、南は明石海峡を隔てて淡路島を望む。地誌によれば、この地名は「赤磯(あかし)」に由来すると書かれている。すなわち、この一帯の土が赤みががっていることから命名された地名という。江戸期は小笠原氏が移封してきて明石城を築き、天和2年(1882年)以降松平氏の治下になり、廃藩置県で明石県を経て後兵庫県に統合され現在に至る。国の重要文化財指定を受ける明石城の巽櫓も有名だが、明石といえば、やはり魚だ。ここでの主人公中部幾次郎が明石の魚の運搬仲買業「林兼」の倅と生まれたのは慶応2年のことだ。日本の水産業を世界の水準に押し上げた実業家と称賛される幾次郎ではあるが、少青年時代の彼は、むしろ凡庸な魚屋の倅だった。商人には学問は無用なこと――のことわり通り、寺子屋に通うわけでも小学校に通わされたわけでもなく、早朝から稼業に精を出す毎日だった。稼業を手伝うことで、商売の智慧とコツを学び取るよう躾るのが、当時の一般的な子弟教育だったのである。