明治・大正・昭和のベンチャーたち

日本はいま百年に一度あるかどうかの一大変革期であり、新しいビジネスを生み出す絶好のチャンス。同じ変革期であった明治・大正・昭和の経済人たちから、無から有を為す技を学ぶ。

野口遵 - 特許をビジネスモデルにした最初の日本人

目次

 ご承知のように現在の旭化成延岡工場の前身である日本窒素肥料株式会社延岡工場が操業を開始したのは、大正12年10月のことと、旭化成の社史に書かれている。延岡市の豊富な水と電力に目をつけ、カザレー式アンモニア合成法の最新技術を導入し、新工場を建設したのが野口遵である。今回の 主人公は旭化成の創業者にして、日本の化学工業の祖と呼ばれる野口遵である。評伝を読むと、野口は明治6年金沢の貧乏士族の子として生を受けた。地元中学を卒業すると、一高・東大へと進み、東大では電気工学を専攻し、明治29年に卒業すると、同年独シーメンス社に入った。日本窒素肥料を創業するのは、それから十年後の明治39年のことである。外国企業に身を置いたことが、影響したのであろうか。彼が着目するのは、特許によるビジネスモデルの確立だった。

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