創業者列伝

創業者たちの生涯を追いながら、成功の要因に迫る。
現役の中小企業経営者にフォーカスし、成功に至るまでの苦心談や、経営の心構えなどを直接取材してご紹介します。

エルム【宮原隆和】
農工連携の先駆者!

宮原隆和社長

宮原隆和社長

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目次

インゲン豆や金柑もビジネスのヒント

 鹿児島県にとっての宮原は「農工連携の先駆者」と呼ぶに相応しい技術者である。その功績は九州そして全国で高く評価されている。このことは北海道をはじめ農業県と言われる地方自治体から講演依頼が相次いでいることが如実に示している。

ep-retsuden2-007-1.JPG 宮原が農工連携の草分けとして最初に手掛けた仕事は、1986年に鹿児島県水産試験場と共同開発した海水表面温度の画像受像と解析装置だった。一歩踏み込んだ、より身近な農工連携製品は、89年に商品化した海苔異物検査用カメラだった。
このカメラは全国の海苔養殖場で大ヒット。翌年には地元の特産品として知られる金柑(きんかん)の自動計量包装機を開発。この機械をベースに91年には量産タイプの汎用型自動ネット包装機を開発し、国内外に特許出願。翌92年には米国で特許を取得した。

農工連携の成果はこれだけではない。一風変わったところでは、南さつま市加世田名産のカボチャをモチーフにした「からくり時計」を完成させている。
 農工連携のチャレンジはさらに続く。
 98年にはゴボウ選別機、えのき茸自動収穫機、ラッキョウ脱皮機を開発。99年には鹿児島県およびサンケイ化学と農業害虫自動計数装置「ムシダス」を共同開発し、同県初の「全国中堅・中小企業新機械開発賞」を受賞する栄誉に浴した。

 これらの製品開発に共通するのは、開発のキッカケがすべて農業と水産業の従事者からの開発要請が出発点となっていることだ。「注文があれば何でも作る」という開発精神を率先垂範した結果なのである。

「AI交流会」で農業ニーズ吸収

 開発に繋がる1次産業のニーズ情報はどのようにして集めたのか。 鹿児島県は今から15年ほど前、「AI(アグリカルチャーとインダストリー)交流会」という農工連携組織を立ち上げている。組織そのものは初期の目的が達成されたため、5年ほどで解散したが、宮原がここで得た技術的成果はほかの製品開発にいかんなく発揮されたのは言うまでもない。

 「今期の売上規模は10億円に達すると思います。このうち、農工連携関係の売上高をみますと、今期は大きく減り10分の1程度の見込みです。それだけ農工連携以外の業績が拡大しているわけです」

ep-retsuden2-007-2.JPG エルムの1人当りの売上高は約3000万円。「研究開発型企業としては満足のいく数字だと思っています。従業員数もバス1台分が適正規模と考えています」と、付加価値の高さを説明する。

 農工連携について宮原はこう話している。
「農工連携というのは結局、異業種交流と同じことなんです。交流会で開発のヒントはいくらでも得られます。実用化に結びつくこともあります。ただ、留意すべきなのは一流と言われる顧客の要望に応えるようにすることです。それが一流の製品を作るコツなんです」

 だが、好事魔多しで、快進撃をみせていた宮原にも大きな危機が待ち受けていた。バブルの崩壊だった。
地元に進出していた一番のお客さんである大手電機メーカーの工場からの受注が従来に比べ約3分の1に急減したのである。農工連携に活路を見出そうとしたのもバブル崩壊が理由だった。
そして資金的にも追い詰められていた宮原は、2つの経営決断をする。(敬称略)

掲載日:2007年4月16日