闘いつづける経営者たち

企業の成長には、独自の理念や戦略がある。成功後もさらに闘いをつづける経営者たちに聞く、企業成成長ストーリー。

株式会社ハマキョウレックス【大須賀 正孝】

目次

給料3分の1に

 創業以来の経営危機にひんし、大須賀は自ら仕事探しに奔走した。タイヤやガソリンの販売業者に頭を下げ、支払いを先延ばししてもらった。関係者の協力を得て、なんとか再建のめどがついたかに見えたが、決算を締めるとまだ赤字続き。「なぜだ」。今度は外部から内部に目を向けると、受注額や経費など、すべてが丼勘定だった。

 ただ原因が見えれば、行動は早い。「それなら毎日収支がわかるようにすればいい」と収支日計表を作成。同社で当たり前となった"日々決算"はこの時始まった。大須賀は自らの給料にも真っ先に手をつけた。当時、45万円だった月給を一気に3分の1の15万円に減らした。

ep-fight-017-3.jpg 途方に暮れる家族を「無理でも仕方ない。やれる方法を考えよう」と説得しながら、大須賀はある方法を考えた。家賃や生活費、子供の教育費など必要経費を差し引くと手元に残る金は3万円。それをすべて1000円札に両替し、「使える金は1日1000円」と決めた。こうすると収支がわかりやすくムダ遣いもなくなる。発想の転換と家族の協力で最大の経営危機を乗り切った。

 日々決算を始めて9カ月目。赤字の理由が見え始めたことと、社員の奮起もあって業績は好転。大須賀の給料も5万円増えた。そして7年後、ついに8000万円あった累積赤字を一掃した。

 日々決算の効果を大須賀はわかりやすく陸上競技に例える。「100メートル競走で、ただ早く走れと言われてもどうすればいいかわからない。目標タイムがあれば、あとどれだけの努力が必要かわかる。タイムを上げるために何をすべきか知恵も出るだろう」。

新たなチャレンジ

ep-fight-017-4.jpg 経営が軌道に乗った80年代後半、今度は空前のバブル景気がやってきた。運送業はどこも人も車も足りないほどの繁忙を極め、同社のトラック保有台数もついに100台を突破した。

 そんなある日、大手スーパーから「物流センターを運営してほしい」との依頼が舞い込んだ。物流センターを建設し、荷主から物流業務を受託する3PLは、今でこそ主流だが、当時は言葉さえ知られていなかった。運ぶだけでもうかる時代に、仕分けやピッキングなど面倒なことを引き受ける運送業者はほぼ皆無だった。

 しかし、大須賀は迷わず引き受けた。「こんな良い時期がいつまでも続くわけない。新しいことに挑戦しなければ」。その目は冷静に、さらに先を見据えていたからだ。

大須賀 正孝 プロフィール

1941年静岡県浜北市(現浜松市)生まれ。浜北中卒、ヤマハ発動機入社。71年に浜松協同運送を設立、92年に「ハマキョウレックス」に称号変更。03年に東証1部上場を果たす。主要顧客は大手スーパーやコンビニエンスストアなどで、流通の川下分野の物流に強い。日本3PL協会会長、静岡県トラック協会会長などを務める。名物経営者として年に30回以上の講演会をこなす。信条の「やらまいか」は、浜松地域の方言で「やってやろうぜ」の意味。

企業データ

株式会社ハマキョウレックス

〒430-0841
静岡県浜松市南区寺脇町1701番地の1
事業概要:物流センター事業、一般貨物自動車運送事業
設立:1971年12月
資本金:40億4505万円(09年3月末)
従業者数:644人(09年3月末)

掲載日:2010年2月19日

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