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闘いつづける経営者たち
株式会社光岡自動車【光岡 進】

目次

オロチ・・・−スーパーカーへの挑戦

ep-fight-007-26.jpg ゼロワンの型式認定取得で晴れて日本で10番目の自動車メーカーとなった光岡自動車は2001年10月、第35回東京モーターショーに初出展した。

 その初陣を飾ったクルマこそ"オリジナルカーのMITSUOKA"の名を世界に知らしめたスーパーカー『大蛇【オロチ】』だった。

 『オロチ』は、日本神話の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に由来する大蛇の持つ"妖艶な美しさ"をイメージした斬新かつ個性的なデザインのコンセプトカーだ。

 2001年モーターショーの話題を独占するとともに、その後の市販車としての開発・改良により、冒頭に紹介した2006年10月の東京・六本木ヒルズアリーナでの発表会に至る。

 「我流の精神」(ゴーイング・マイウェイ)で夢をかたちにするクルマづくりに打ち込んできた光岡にとって、『オロチ』はクルマ一筋の人生航路の大きな到達点でもあった。

ep-fight-007-27.jpg 2006年8月29日には、立山の麓にある雄山神社で『オロチ』に魂を授かる「入魂の儀」を行うほどの熱の入れようだった。その甲斐あって『オロチ』は2007年5月25日、ゼロワン以来2車種目となる型式認定を取得、スーパーカー街道を走り出した。

 「オロチは完全受注生産方式で販売しているが、現在までに約60台を製造、出荷した。海外、とくにオイルダラーが豊富な中近東とロシアからの引合が多く、目下、左ハンドル仕様車の開発・改良を進めています」

 「今年8〜9月には左ハンドル仕様が完成、月産5台体制になり、海外への出荷体制も整います。これからが本番です」と、光岡は相好を崩す。

ep-fight-007-28.jpg 同時に、光岡は『オロチ』で自動車人気を復興する「自動車人気復興大作戦」と銘打ち、2008年1月、販売価格1,000万円を切る新バージョン『オロチ・零(ゼロ)』(車両本体価格890万円)を発表、スーパーカー市場の底辺拡大にも着手した。

 『オロチ』は、2mを超える全幅、低い車体、サイドから見た"流れるようなボディライン"など特異な有機的フォルムが特徴。しかし車両本体価格は標準モデルで1,140万円と高額である。

 そこで、光岡は標準車のデザインはそのままに、外装や内装の色彩を一色にし、防音材を減らすなど装備を簡略にして1,000万円の壁を切った廉価版としての『オロチ・零』を開発、提供することにした。

 それでも生産枠は1年間で限定20台であるから、希少価値なスーパーカーであることに変わりはない。

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夢は世界へ−動き出す海外戦略?

ep-fight-007-30.jpg 『オロチ』の発売を契機に、光岡は海外事業への取り組みを加速する。2004年11月、中国のモーターショーに初出展、中国3C認証を取得して中国への輸出を開始した。

 これを皮切りに、2007年にはマレーシア、シンガポール、香港、アラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビアで現地業者と販売特約店契約を交わし、アジア、中東地域での市場開拓に乗り出した。

 さらに2008年にはタイ、ヨルダンでも販売特約店を設置。スーパーカー『オロチ』を中心に、MITSUOKAのオリジナル車を世界に売り込んでいく体制を整えつつある。

ep-fight-007-31.jpg 「当社ディーラーは、マレーシアで3店舗になり、シンガポールの1店舗と併せて4店舗体制でアセアン市場を開拓中です。近いうちにタイに製造拠点を確保して、そこからアジアや中近東、ロシアなどに当社のオリジナル車を販売していくつもりです」

 「おそらく当社の売上げの7〜8割は海外になる時代がいずれやって来る。その足掛かりとなる"海外進出元年"が2008年であり、タイへの工場進出が、間違いなくその第一歩になります」

 光岡はクルマづくりの夢舞台を海外へと雄飛させる。またそれと同時に、世界市場を視野に入れたスポーツカーメーカーへの躍進を宣言する。

 「将来はロータスやフェラーリ、マセラッティといった世界の有名スポーツカーに伍して、世界の人々がスポーツカーに乗る時に『MITSUOKAもあるぞ!』という存在感を示せるメーカーになりたい。そのためには、世界のサーキットレースに出て走れるスポーツカーをつくり、レースの勝ち負けで製品の優劣に決着を付ける勝負にも挑んでみたいです」

小さな工場だけど夢がある

 光岡は2002年10月、さらなる夢に向かってオリジナルカーの開発に専念する決心をした。それは光岡自動車社長からの引退だ。

 社長の椅子を実弟の章夫氏に譲り、会長に就任した。以来、開発部門がある横野工場に常駐し、開発現場で陣頭指揮を取っている。

ep-fight-007-32.jpg また横野工場の近くに『我流庵』と称する私的な開発室を設け、ここに引きこもって未来車開発の夢を紡ぐ日々が続いている。

 光岡自動車グループは現在、3事業部門からなる三位一体経営を展開している。スーパーカー『オロチ』などのオリジナル車の開発・製造と海外輸出を担う「ミツオカ開発車事業」、GMシボレーなどのアメリカ車やマレーシアのTD Cars社製「TD2000」をはじめ、世界の新車・中古車を輸入販売する「BUBU事業」。

 そしてドイツのアウディ、フォルクスワーゲン、イタリアのランボルギーニ、フィアット、イギリスのベントレー、ランドローバー、アメリカのGM、クライスラーなどを取り扱う正規輸入車ディーラーとしての「ディーラー事業」の3つである。

 部門別の売上げ構成比は、ミツオカ開発車事業(オリジナルカー部門)が10%、BUBU事業(中古車部門、直輸入車部門)が60%、ディーラー事業(新車ディーラー部門)が30%だ。

 中古車販売とロンドン・タクシー・インターナショナル(LTI)社製やマレーシアTD Cars社製の直輸入車の販売を手掛けるBUBU事業が稼ぎ頭になっている。

ep-fight-007-33.jpg この3事業部門のうちで、今も光岡が陣頭指揮を執るのは、オリジナルカーの開発と海外事業を担うオリジナルカー部門であり、BUBU事業とディーラー事業は、実弟の章夫社長や光岡がこれまで育て上げた経営幹部に経営を任せている。

 「私は創業以来、社員に対する『信頼』を経営の基本にしてきた。社員には、日本の法律を守ること、健全な利益を出すことの2つを守れば、あとは何をしてもいいと言っている。社員にすべてを任せる経営をしてきたことが、結果として当社の自由闊達な企業風土とチャレンジ精神を育ててきた」

 こうした経営の権限委譲により、光岡は少年時代から夢見てきたカービジネスの世界で安定した経営基盤を築き上げ、今もなおオリジナルカーづくりの夢をかたちにするクルマ一筋の人生街道を一直線に走り続けている。

 「夢をひとつ高い位置に置き、その夢を実現する目標を掲げ、計画を立てて実行し、反省する。《目標→計画→実行→反省》の4つのサイクルをハイスピードで回転していくことで夢に近づくことができる−そう信じています」

 光岡は、夢づくりの方程式をこのように説く。

作り手の哲学が見えるスポーツカー開発を目指す

ep-fight-007-34.jpg 自動車産業界では今、地球温暖化対策の一環として二酸化炭素(CO2)削減に貢献する環境対応車(エコカー)の開発競争が始まっている。

 光岡はこれまでも1999年4月発表の電気自動車『MC-1EV』や2002年10月発表の電気自動車『コンボイ』でエコカーづくりに取り組んできた。そしてこれからも新しい電気自動車の開発に執念を燃やす構えでいる。

 「米国のベンチャー企業で、ロータス車のシャーシ(車体)にモーターとリチウム電池2,000〜3,000個を並列配置したバッテリーで駆動する電気自動車を開発している会社がある。そういう会社とタイアップして、バッテリー駆動の先進的な電気自動車の開発を是非やってみたいと思っています」

 「また総排気量2リットル級で少量生産のスポーツカーは、まだ機能のいいものが少ない。ぜひ当社でも開発し、世に送り出したい」と、光岡の夢は広がる。

 光岡によれば「フェラーリやマセラッティは年間2,000〜4,000台規模の少量生産で作っているが、これらは大量生産のメーカー車にはないオリジナリティー(独創性)溢れるデザインと性能で作り手の個性を主張するクルマづくりをしている」という。 そんな独創性と作り手の主張やものづくり哲学が見えるクルマを作りたい!いや、作ってみせる!−『オロチ』は、その第一歩であり、先駆けであるが、光岡の夢はまだまだ果てしない。

 光岡が唱える《目標→計画→実行→反省》の4つのサイクルをハイスピードで回転していく"夢づくりの方程式"がフル稼働し、夢が満たされるその日まで、光岡はなお走り続ける構えでいる。

 立山連峰を借景にした『我流庵』で光岡は未来のクルマづくりと海外雄飛に思いを馳せ、今日も開発の現場に立つ。0から1へ−夢をかたちにする光岡の挑戦はこれからも続く。

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光岡 進プロフィール

1939年、富山県生まれ。県立富山工業高等学校を卒業後、国産車ディーラー(富山日産自動車と富山日野自動車)で新車営業を担当。1968年、クルマの板金塗装と修理サービスを手掛ける光岡自動車工業を創業し、1970年にはカーショップ光岡自動車を立ち上げ中古車事業にも乗り出す。1979年、2つの会社を統合、株式会社光岡自動車として全国展開に乗り出す。直後、中古車オークション会場で偶然見つけたイタリア製ミニカー(マイクロカー)に衝撃を受け、同車の輸入販売事業を手掛けようになる。1982年、50ccエンジンを搭載して自動二輪免許・原付免許で運転が可能なゼロハンカー「BUBUシャトル50」を発売、自社オリジナルカーの製造販売をスタート。以降、独創的な発想と名車のレプリカ製造という改造車事業でコアなユーザー層の獲得に成功。1996年、日本で10番目の乗用車メーカーとして認可。1998年に組み立て式マイクロカー(キットカー)、2006年にはスーパーカー「大蛇(オロチ)」を発表。

企業データ

株式会社光岡自動車

〒939-8212
富山県富山市掛尾町508番地の3
TEL.076-494-1500(代表)

事業概要:自動車製造・開発、輸入、中古車事業
設立:1979年(昭和54年)11月
資本金:2億2,700万円
売上高:339億円(07年9月期グループ実績)
従業者数:595名(08年2月1日現在)

掲載日:2008年6月27日

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