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第2回 「鈴木三郎助――味の素の創業者(2)」

★待ち受けていた強敵
 三郎助は母と妻の仕事振りをじっくり観察した。カンのいい男だ。朝早く浜辺か ら拾ってきたかじめを丁寧に乾燥する。乾燥かじめを焼き、灰魂状にしたものがケ ルプだ。浜辺から拾ってくるかじめだけではたかが知れている。三郎助も母に似 て、思い立ったら行動は早い。原料かじめを大量に確保するため、三浦半島から東 海、房総半島まで広く手を伸ばす。もっと合理的な生産の方法はないものか―― と、研究も怠らない。ケルプ製造はいつしか家業となり、家業に弟の忠治も加わっ た。三郎助は商売上手だ。忠治は寡黙な男で研究者タイプだ。ケルプを売るだけじ ゃもうけもたいしたことない。ケルプを原料に、多用な製品が作れる。それをやろ うじゃないかと言い出したのは忠治だ。塩化カリ、沃度チンキ、沃度ホルム、硝酸 などを手がけるようになるのは忠治の提案によるものだった。

 いまで言う「付加価値」をつけるというわけだ。気がついてみると、三郎助は旺 盛な事業家に変身していた。いまや沃度市場を三分するほどの実力者だ。下流を事 業化することでもうけを倍増する――というのが、当時打ち出した事業方針だ。す なわち、かじめ焼きを止めて、下流製品の製造に専念することだ。三郎助が、そう 考えたのは、日本のあちらこちらで、ケルプ作りが流行するようになり、叩き売り がはじまっていたからだ。ケルプの本場は房総だ。三郎助がケルプの本場・房総に ケルプ精製工場建設を思い立つのは明治末のことだった。いちいち買い付けに出向 いていたのは遅れを取ると判断したからだった。ところが、房総には思わぬ強敵が 待ち受けていたのである。

 房総の浜辺で三郎助は村人を口説いた。口説き上手に口説かれた村人たちはかじ め作りに励んだ。原料のケルプが十分に集まるようになった。精製工場の建設も順 調だ。そこにとんでもないニュースが飛び込んできた。手配したはずのケルプが集 まらないというのだった。いったいどういうことか。調べてみると、同業者が現 れ、ケルプを高値で買い集めているというのだ。その男は、房総水産会社の森矗昶 営業部長だという。後の昭和電工総師である、房総水産もケルプを買い集め、ケル プの精製事業を計画していたのだった。四角い顔で、実に人当たりのいい男だ。村 人の口説き方も、にこやかで上手である。かじめの買い集めで、両者が正面衝突 するのは、もはや避けられない情勢となっていた。

★ワシの工場を譲りましょう
 血で血を洗うというのはこういうビジネス戦争を言うのであろう。こうして始ま るのが房総戦争とよばれるかじめ争奪だった。かじめは高値を呼ぶのも当然で、漁 民や村人は喜んだが、たまらんのは精製業者である。三郎助は考えた。これでは両 者とも自滅する。そこで三郎助は一つの決断をする。三郎助は千葉の房総水産を訪 ねて森に面談を求めた。工場をあなたに譲りましょう――と、三郎助は切り出し た。なぜかと森は聞いた。日本人同士でケンカをするなんてつまらん話だ、かじめ の値をつり上げるだけで、この状態を続ければおたくもワシのところも潰れてしま う――三郎助は、そう応えた。もっともな話だ、巧みな説得である。森も他人を説 得する術には長けていると自信を持っている。しかし、自分に優るとも劣らぬ男の 登場に、感嘆した。そして闘いに勝利したと思った。

 館山の精製工場は引き渡しましょう。しかし――と、三郎助は続ける。どうで す、場所を変えましょうか、と森は言う。本音がわからぬ、酒を飲めば本音も出る ――と森は考えた。話し合いは近くの料亭に移し続けられた。そこで三郎助は工場 引き渡しの条件を提示する。工場を引き渡す評価の相当額を株券で相殺し、ついで 房総水産の重役に鈴木側から派遣すること。その二つが条件だ。わかりました、と 森は応える。房総水産側の全面勝利だ。しかし、三郎助には巧みな計算があった。 すなわち、三郎助は房総水産を勝たせたように思わせておきながら、実際には何一 つ損することなく、実利を手にするのである。口説き上手と言われる所以もあるの だが、そのことに森が気づくのはあとのことだ。(つづく)