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飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された」
「ピエトロドレッシング」―始まりは「おすそ分け」だった
1980年、福岡の天神にパスタ専門店「洋麺屋ピエトロ」がオープンした。茹で立ての本格的なパスタを堪能することができたが、乾麺の状態から茹でていたため、パスタが出されるまでに時間が掛かっていた。その時間も楽しんでほしいと考えた店主はサラダの提供を開始する。その際に使われたのが、後の「ピエトロドレッシング」だった。

和風しょう油ドレッシングの草分け「ピエトロドレッシング」。始まりは1980年、福岡市中央区天神にある小さなパスタ専門店で出していたサラダだった。新鮮な国産タマネギと甘味のある九州産のしょう油をブレンドした日本人好みの味は、瞬く間に口コミで広がり「スチュワーデスが福岡土産に東京に持ち帰った」(大野順子マーケティンググループ長)ほどだ。1983年には噂(うわさ)を聞きつけた福岡の百貨店から販売の声がかかり、本格的にピエトロドレッシングの外部販売を開始。それから30年余りたった今、同商品を中心とした食品事業の売り上げ構成比は55.3%となり、ピエトロの屋台骨となった。躍進の裏にあったのは、ひたすらに厨房のレシピを守り通すこだわりだった。

お客さまを飽きさせないために

洋麺屋ピエトロの一号店

洋麺屋ピエトロの一号店

ピエトロ創業者で現社長の村田邦彦氏は1980年に福岡市中央区天神にパスタ専門店「洋麺屋ピエトロ」を開業。小さな2階建てのワンフロア(2階)店舗で、席数36席の小さな街のパスタ屋さんだった。店では「お客さまに熱々で茹で立ての本格的なパスタを食べてもらいたい」(同)との思いから、乾麺の状態からゆでていた。そのため、来店客の前にパスタが出されるまでに時間が掛かった。

九州・福岡といえば博多ラーメンに代表されるようにラーメン文化が根付いている。ラーメンは注文から出されるまでのリードタイムが短い商品。食べ物を待つことにあまり慣れていない気質がある。パスタを出すまでにかかる時間を何とか楽しんでもらいたいと考えた結果、村田氏は野菜サラダを提供した。その際使われたドレッシングが、ピエトロドレッシングだった。

当時、サラダにかけるドレッシングはフレンチドレッシングのように酸っぱい味が主流だったが、村田氏が使ったのはしょう油だった。「村田はご飯に合うものはパスタにも合うはずと考え、当時としては珍しいタラコや高菜、納豆などを具材にしたパスタを作っていた。ドレッシングでもこの考えを用いて、日本人に馴染みのあるしょう油を選んだ」(同)。しょう油ベースの味にタマネギの搾り汁やオリーブの実やマスタードなどの香辛料を混ぜ合わせ、和と洋を融合させたドレッシングが出来上がった。

「おすそ分け」からスタート

「当時の苦労が今の基盤になっていると思う」と話す大野順子さん

「当時の苦労が今の基盤になっていると思う」と話す大野順子さん

ピエトロドレッシングをかけると「野菜嫌いの子どもがお店でならサラダを食べる」(同)ほど好評だったという。来店客から自宅でも使いたいとの要望を多くもらったため、開店オープン時の紙チラシに書いてあった店のロゴを切り取り空のワインボトルに貼って、その中にドレッシングを注ぎおすそ分けをするようになった。1981年にはドレッシングの店頭販売を開始。ピエトロドレッシングの味は口コミで広がり、83年に福岡市内の百貨店から声がかかり、外販にも踏み出した。

もっとも、当時は生産設備がないためタマネギを切ったり、搾ったりするすべての工程は手作業に頼らざるを得なかった。「昼間はレストランを営業し、閉店してから近くにアパートを借りて明け方近くまでドレッシングをつくる日々。1990年に生産工場をつくるまでこの状態が続いた。このころの苦労は計り知れないが、それが今の基盤になっていると思う」と、大野マーケティンググループ長は話す。

大きな厨房で“伝統のレシピ”を再現

手作業による生産では高まる需要を満たすことができなくなり、生産拠点の確保が急務になってきた。村田氏はドレッシング生産工場の建設を決断。1990年に稼働、生産を始めた。

タマネギの内部が傷んでいないか人の目でチェック

タマネギの内部が傷んでいないか人の目でチェック

ピエトロの工場は「大きな厨房」と呼ばれている。生産の自動化と言っても機械に任せている工程は「原料のかく拌と最後の充てん工程だけ」(同)という。“伝統のレシピ”を再現することにこだわった。
 タマネギは、水分が蒸発しないように刻む直前までヘタを取らない。現在でも人の手でヘタを切り取り、包丁で切って内部が傷んでいないか人の目でチェックする念の入れようだ。
 一度に仕込む量は約170本(280ミリリットルの場合)に限られている。これは、村田氏が厨房で使っていたずんどう鍋と同じサイズの鍋を工場でも使っているためだ。「一度に大量に生産すると、味がブレてしまう。厨房の味を忠実に再現するためには、村田が使っていたのと同じサイズの器材を使う必要がある。今でも、しょう油やタマネギ搾り汁の分量などは人が手で量っている」(同)。

ピエトロドレッシングの一番の特徴は、レストランの厨房で作り立てを提供していたように、加熱処理をしない生タイプのドレッシングであることだ。加熱処理した商品に比べると、賞味期限が「2、3分の1」(同)になり食品スーパーなどではロスの発生や商品管理が難しくなるが、タマネギやしょう油などの原材料の旨味や風味が最大限に活かされる、創業時からの伝統の製法を守り続けている。

変えずに守り続ける努力

東京・有楽町のアンテナショップ

東京・有楽町のアンテナショップ

1990年にドレッシング生産工場が稼働すると本格的な全国展開を開始。1998年には全国ネットでTVCMも投入した。ピエトロドレッシングを中心とした食品事業の売上高は53億3200万円(2012年3月期)で、売上高構成比は約50%。「おいしい味を変えずに守り続ける努力をしてきたからこそ、ついてきた結果」(同)と胸を張る。
 現在の年間生産本数は約1700万本。工程の多くを自動化すれば収益が高くなるとも思える。しかし「どれだけ手間がかかっても、変えてはいけない点がある。それが長くお客さまに愛されるカギ」(同)と、ロングセラーの秘訣(ひけつ)を語る。

もっとも、伝統のレシピに拘泥し変化を嫌っているわけではない。ピエトロドレッシングに使われている油は発売当時からコレステロールがゼロだったが、健康志向の高まりを受け、01年3月には油の量を50%カットした「ピエトロドレッシング ライトタイプ」を、06年秋には70%カットの「ピエトロドレッシング グリーン」を発売した。ただ、両商品とも「油を減らした分、タマネギの繊維を加えたり、寒天を加えるなど、野菜にからみやすいように工夫した。生産工程は従来のままで、味は変えていない」(同)とこだわりを見せる。

東京ドームではサラダパスタの販売店舗をオープン

東京ドームではサラダパスタの販売店舗をオープン

また、消費者との交流の機会を増やすため、12年4月には初のアンテナショップ「ピエトロドレッシング」を東京・有楽町の東京交通会館に開設。リーフ野菜の詰め放題サラダを店内で飲食できるほか、持ち帰りもできる。さらに13年3月にはカップに入ったサラダパスタを販売する店舗「ピエトロパスタ ミオミオ 東京ドーム店」(東京都文京区)をオープンさせた。弾力のあるパスタ「リングイネ」と野菜にピエトロドレッシングをかけ、観戦中でも手軽に食べられるスタイルで提供する。


ピエトロは2015年に売上高200億円を目指している。2011年には米国での現地生産・販売を始め、海外市場にも打って出ている。日本生まれの和風ドレッシングが海外でどう評価されるのか―。様々な局面で勝負の時期を迎えている。

企業データ
株式会社ピエトロ
代表取締役社長:村田邦彦
福岡県福岡市中央区天神3-4-5
掲載日:2013年3月28日


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