本文とサイドメニューへジャンプするためのナビゲーションスキップです。

スタートアップガイド

J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト

  • J-Net21とは
  • スタートアップガイド
中小機構
  • メルマガ登録
  • RSS一覧
  • お問い合わせ

HOME > 製品・技術を開発する > 飲食品でヒット商品をつくる

飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された」
「ブラックサンダー」―発売から10年、風向きが変わった
現在、若年層を中心に人気となっているチョコレート菓子「ブラックサンダー」は、1994年、有楽製菓の当時の主力商品と対極にある商品というコンセプトで開発・発売された。しかし、生産ラインのキャパシティを満たせず、順調な船出と言うには程遠い状況。発売から1年後、終売という事態に至った。

「10年間売れなかったんですよ」―。チョコレート菓子「ブラックサンダー」を製造する有楽製菓(東京都小平市)の伊藤大介マーケティング部係長は笑う。発売は1994年。2003年ごろまでは、生産ラインの稼働が月一回のときもあったほどで、順調な船出と言うには程遠い状況だった。しかし、現在の販売個数は年間1億3000-4000万個、売上高82億6000万円(2012年7月期)のうち約30%を占める同社の主力商品となった。躍進の裏にあったのは、偶然と必然だった。

辛酸なめたブラックサンダー

パフを使った軽い食感が特徴だった「チョコナッツスリー」

パフを使った軽い食感が特徴だった「チョコナッツスリー」

ココアクッキーのほろ苦さと、ミルクチョコレートの甘さが合わさり若年層を中心に人気となっているチョコレート菓子「ブラックサンダー」。有楽製菓の当時の主力商品「チョコナッツスリー」(2010年終売)と対極にある商品というコンセプトで開発された。チョコナッツスリーは、パフを使った軽い食感が特徴。反対にブラックサンダーは重量感のある商品を目指し、ココアクッキーとプレーンビスケットの2種類を使った。形状の異なるビスケットを使用することで、食感の違いを楽しめる利点もある。また、甘さが口に残るように工夫して「後を引く味わいに仕上げた」(伊藤大介マーケティング部係長)。さらに、ミルク感を出すためにホワイトチョコレートを加えている。


発売開始当時のブラックサンダー。商品名はアルファベット表記だった。

発売開始当時のブラックサンダー。商品名はアルファベット表記だった。

1994年9月、満を持して全国発売した。ところが、チョコナッツスリーの後を継ぐ商品として期待されたブラックサンダーは見事に期待を裏切った。TVCMなどのマス・メディアを使い大々的に宣伝する費用を潤沢に持たない有楽製菓では、営業部員が全国を歩き回り売り込んでいたため、認知度が思うように上がらなかった。「チョコナッツスリーの価格は20円。これに対して、ブラックサンダーの30円という設定は高いのではないかとの意見も出た」(同)という。生産ラインのキャパシティをなかなか満たせる状態ではなく「工場を稼働させるのが月に一回というときもあった」(同)ほどだ。

発売から1年後の95年9月ごろ、万策尽きブラックサンダーは終売という形でいったん、その幕を閉じた。

再発売したものの

終売から1年後の96年9月。ブラックサンダーに転機が訪れた。

全国的には売り上げが伸びなかった同商品だが、九州地区では好評だったという。「なんで売らないのか。もったいない」との声を多く聞いた九州担当の営業部員が、営業会議でブラックサンダーの復活を談判した。このことが契機になり「初年度しか製造していなく資材が多少残っていたため、その分だけでもやろうかという話になった」(伊藤大介マーケティング部係長)。ブラックサンダーの再販売が決まった。

ただ、発売を再開したものの、味や食感に変更はなく、文字通りの再販売だったため「売り上げは現在の50分の1程度。九州地区担当の営業部員が必死で営業していたため、会社としてもその熱意を認め、細々と販売を続けていた」(同)状態だった。

コンビニ側で保冷運送費もつ

ブラックサンダーの製造工程

ブラックサンダーの製造工程

風向きがかわったのが、大学生協で取り扱われるようになった2006年ごろだった。「生協の白石さん」で有名になった東京農工大学の生協職員・白石昌則氏に取り上げられたことで、生協を中心に売れ始めた。大学生協での販売実績を引っさげて、コンビニエンスチェーン大手にも売り込んだ。「2000年ごろに一度、コンビニに出荷したことがある。その時は、販売時点情報管理(POS)が良くないということで、カットされた」(伊藤大介マーケティング部係長)苦い経験が有楽製菓にはあった。

当時、販売数が現在ほどではかかったため、価格が30円の商品で保冷対応にすると利益が出なくなる恐れがあり、5-9月初旬まで製造をストップしていた。ところが、今回は夏場の保冷輸送費をコンビニ側で負担してでも年間を通じて販売してほしいという話がくるほどだった。

コンビニで扱われるようになり、年間の販売個数は06年に約2000万個を突破。翌年に約3000万個を超えた。

我慢の10年

ブラックサンダーに更に追い風が吹いた。08年8月の北京オリンピックで体操個人銀メダルに輝いた内村航平選手がブラックサンダーを好んで食べることをマスコミが報じると、人気に一気に火がついた。08年の年間販売個数約4500万個が09年には約1億個と倍以上の伸びとなった。

「ブラックサンダーはもともと売れるポテンシャルがあった」と語る伊藤大介さん

「ブラックサンダーはもともと売れるポテンシャルがあった」と語る伊藤大介さん

当時、順調に売り上げが伸び「常に欠品というような状態。営業部員が謝っていた」(伊藤大介マーケティング部係長)くらいだった。生産体制を見直し、専用ラインを設けたり、1直体制に夜勤を導入し2直体制にしようとしたりしていた矢先だった。「生産量が倍になるが、その分販売量も倍にしなければ人件費などの費用を吸収できない。『どうしよう』とみな戦々恐々だったが、まさかこんなことになるとはという思いだった」(同)と、当時の心境を打ち明けた。

11年4月には需要増に対応するため、愛知県豊橋市に新工場を建設。同工場で日産70万個の体制を整えた。

ブラックサンダーは94年の発売以来、味を変えていない。「もともと売れるポテンシャルがあった商品。足りなかったのは認知度だけ」(同)と分析する。商品自体が持つ魅力と外部要因が重なり躍進を遂げた。ヒットの要因について、伊藤マーケティング部係長は「10年間我慢することかな」と、おどけて見せた。

企業データ
有楽製菓株式会社
代表取締役社長:河合伴治
東京都小平市小川町1-94
掲載日:2012年11月14日


このページの先頭へ