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飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された」
「オリエンタル即席カレー」―高級料理だったカレーを誰でも食べられるようにしたい
1945年に日本初の本格的インスタントカレールウ「オリエンタル即席カレー」が発売された。誰もが簡単に調理でき、本格的なカレーを安く食べられる。それは、高級レストランか上流家庭の料理と思われてきた従来のカレーを庶民の味に変えた瞬間だった。

日本のカレーはイギリス式カレーが原型とされる。そのレシピは炒めた小麦粉にカレー粉を混ぜるというもので、明治の初めに英国から日本に伝わり、大正末期から昭和初期にかけてカレーは高級洋食店の人気メニューになった。(以上、神戸大学経済経営研究所調べ)

日本初のインスタントカレールウ


1945年に発売された日本初のインスタントカレールウ「オリエンタル即席カレー」

1945年に発売された日本初のインスタントカレールウ「オリエンタル即席カレー」

その人気のカレーが家庭でも簡単につくれる。それを謳い文句に1945(昭和20)年11月、「オリエンタル即席カレー」がオリエンタルから発売された。日本で初めての本格的なインスタントのカレールウだ。
 当時のカレーは高級レストランで供される、もしくは上流階級の家庭で手間とお金をかけてつくられるものという考えが常識だった。しかし、第2次世界大戦の終戦によって時代も変わり、これからは庶民もカレーを楽しむ時代になる。そう直感したオリエンタル創業者の星野益一郎は、終戦直後に開発した代用あんこ(おからのような材料に砂糖と食紅を加えたもの)の大ヒットで得た資金を元手にカレーづくりを始めた。

当時のカレールウづくりは、小麦粉と脂(肉の脂肪)を炒め、そこにカレー粉を加え、さら肉と野菜のスープで溶かすという手間のかかる調理だった。その手間を省くため、粉末にしたインスタントのカレールウを益一郎は考案した。そして、それを45年に発売すると、オリエンタル即席カレーは瞬く間に家庭に広がり、カレーは高級料理から家庭の味へと変わっていった。


オリエンタルは宣伝も個性的だった

オリエンタルは宣伝も個性的だった

オリエンタル即席カレーの販売方法もユニークだった。発売当初はリヤカーに商品を積み、ちんどん屋を先導に益一郎もターバンを巻いたインド人に扮して売り口上を述べながらねり歩いた。あんぱん1個が5円の時代に、5皿分で35円のオリエンタル即席カレーは飛ぶように売れた。また、1950年代に入ると販促用の景品としてステンレス製のオリジナルスプーンをつくった。まだ家庭にスプーンが浸透していない時代でもあり、この景品は消費者から重宝がられた。
 全国発売を決めると営業はさらにエスカレートする。芸人を社員として雇い、マジック、腹話術、音楽演奏などを繰り広げながら4トントラックの宣伝カーでねり歩く。まだ娯楽の少ない時代だったこともあり、独自のショーには人が群がった。そしてショータイム後に試食してもらい、そこで即販をすると飛ぶように売れた。1日に1000個を売り上げることもあったという。

子どもでも食べられるカレーを


子どもにも食べられるようにと別添のチャツネで辛さを調節できるようにした

子どもにも食べられるようにと別添のチャツネで辛さを調節できるようにした

全国発売から間もない昭和30年代半ばになると、競合他社も続々とインスタントカレールウ市場に参入。高度経済成長とも相まって市場の競争は激化した。そこでオリエンタルはオリエンタル即席カレーに次ぐ新商品が必要と判断し、62年(昭和37)に「オリエンタルマースカレー」を発売した。
 それまでのカレーは辛いのが常識だったが、カレーが普及するにつれ、子どもでも食べられるようにと消費者からは辛味に強弱の幅が求められるようになる。そこでオリエンタルマースカレーは容器入りのチャツネ(天然調味料)を別添とし、これを加えることで辛味を抑えてまろやかな口当たりに調節できるようにした。ちなみにチャツネとは、果物、香味野菜、香辛料を煮詰めてジャム状にしたものに砂糖とりんご酢を加えた調味料で、インドではさまざまな料理に薬味や調味料として頻繁に使われる。
 そのチャツネを別添にした商品スタイルは、オリエンタルマースカレーに追随するように競合他社からもリリースされ、その後約10年にわたり市場で各社が覇を競いあった。

一大転換期を迎えたインスタントカレー市場

1969年に発売されたレトルトカレー「スナックカレー」。タレントの故・南利明を起用し、「ハヤシもあるでよ」の名古屋弁のCMフレーズが大流行した

1969年に発売されたレトルトカレー「スナックカレー」。タレントの故・南利明を起用し、「ハヤシもあるでよ」の名古屋弁のCMフレーズが大流行した

そして昭和35年ころになるとインスタントカレールウ市場に大きな変革がもたらされた。固形ルウの登場だ。それまでの粉末状のカレールウに替わって固形のルウが徐々に市場を席巻していった。
 固形のカレールウは、高融点の食用油脂(硬化脂)を用いて製造するため粉末に比して生産性が高い。そのためメーカーにとってコストダウンが可能になる。しかし、オリエンタルは固形ルウの生産には踏み切らず、あくまでも粉末のルウにこだわった。なぜなら、硬化脂は健康に問題ありと指摘された時期があり、添加物を極力排し、自然な素材で安全・安心な食品づくりを旨とする同社としては固形よりも粉末を貫き通す道を選んだ。
 しかし、やがて固形ルウが市場に浸透し、「カレールウ=固形」が一般的になっていくにつれ、粉末タイプはカレールウ市場での競争力を低下させていった。

粉末タイプのカレールウと同等にオリエンタルの屋台骨を支えるレトルトカレー商品

粉末タイプのカレールウと同等にオリエンタルの屋台骨を支えるレトルトカレー商品

固形ルウの登場に続き、昭和40年代はインスタントカレー市場にとって一大転換期となった。その象徴が昭和40年代前半に発売されたレトルトカレーだ。それは後にインスタントカレー市場の一大製品となった。
 まずは68(昭和43)年に「ボンカレー」がその口火を切ると、翌年にオリエンタルも「スナックカレー」の商品名で市場に参入した。同社はレトルトカレーとして一般用と業務用、濃縮タイプの3タイプを開発し、一般用は5年後に生産を一時休止したが76年に再開、業務用と濃縮タイプは発売以来生産を継続している。
 そしてオリエンタルのレトルトカレー商品は現在、粉末タイプのカレールウと同等の売上になるまでに成長し、同社を支える屋台骨となっている。

レトルトカレーから米粉カレーまで多彩に開発

1990年代に入ると消費者の嗜好が多様化し、それに合わせて個性的なレトルトカレー商品が各社でつくられた。また、個食化など時代背景も相まってレトルトカレー市場は成長し、さらに1990年代後半のご当地カレーブームがレトルトカレー市場の躍進を後押しした。

レトルトカレーについてオリエンタルは、現在、年間に1-2品の自社ブランド商品および5-6品の受託商品を開発・生産している。
 「猪肉を用いた奈良県吉野の『山伏カレー』をはじめ、松坂牛、佐賀牛、愛知県知多の青じそなどさまざまなご当地の名産を使ったレトルトカレーの開発・生産を受託してきました。現在も各方面からご当地カレー開発の相談をいただいています。また、カレールウでも最近は米粉を用いたオリジナル商品も開発しました」(山内正雄・研究開発室長)

2011年に発売した「オリエンタル 米粉カレールウ」

2011年に発売した「オリエンタル 米粉カレールウ」

2011年、オリエンタルは「オリエンタル 米粉カレールウ」を発売した。小麦粉に替えて米粉を用いたカレールウだ。開発のきっかけは、2010年に新潟県から「スキー発祥100年記念」事業としてレトルトカレー商品開発の相談を受けたことだった。同社も以前からレトルトカレーのとろみ付けとして米粉を扱っていた経験もあり、新潟県産米粉を用いた記念商品の開発を受託した。
 2011年の新商品では米粉を地元の愛知県産米に替え、脂質を30%カットし(五訂増補日本食品標準成分表・カレールウとの比較)、化学調味料・着色料を一切使わないヘルシーなカレールウを完成させた。
 「米粉カレールウの発売以来、アレルギーに悩むお客さまから小麦粉は一切入っていないのかとのお問い合せが多いです」(山内室長)
 ただ、生産工場では小麦、乳、卵、落花生を含む他の商品も生産しているため、それらの工程で発生する成分がコンタミネーションとして避けられないことから米粉カレールウに混入していないとは言い切れないという。が、それはさておきインスタントカレールウの先駆者が開発する商品は、いまもって消費者の関心を引き付けて止まない。

(文中敬称略)

企業データ
株式会社オリエンタル
代表取締役社長:星野倶廣
愛知県稲沢市大矢町高松1-1
掲載日:2012年10月24日


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