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飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された」
「ポールウインナー」―資本力がなくてもアイデアで勝るソーセージをつくろう
1934(昭和9)年、神戸で発売されたウインナーソーセージが大ヒットした。伊藤ハムが独自に考案した「セロハンウインナー」、後の「ポールウインナー」だ。ソーセージづくりには大資本を必要とするが、少ない資本でもアイデアでそれを克服する。そうして生まれた超ロングセラー商品だが、いまだ関西以外では知名度が低い。なぜか…?

1928(昭和3)年に伊藤傳三が大阪市内に伊藤食品工業を設立した。現在の伊藤ハムの前身だ。傳三は食肉加工を目的として起業したが、最初は経験のあった海産物づくりから始めた。経営は順調にいったものの、翌29年の世界恐慌の影響であえなく倒産。捲土重来を期して傳三は32年に神戸で魚肉ソーセージの製造を始め、これがおいしいと評判を呼び、阪急、大丸など大手百貨店に卸すようになった。

ここまでは順調だった。が、しばらくすると工場は返品の山で埋まってしまった。なぜか。店頭に並んだ魚肉ソーセージの表皮(ケーシング)から水分がにじみ出し、それによって細菌が繁殖して悪臭を放っていたからだ。魚肉に限らず畜肉のソーセージでも、生産工程で豚や羊の天然腸にミンチ状の肉を詰めて加熱処理する。この天然腸をケーシングと呼ぶのだが、天然腸には小さな穴があいているため、畜肉より水分の多い魚肉だと時間の経過とともに乾燥すると水分がにじみ出てしまうのだ。

返品の山を前に傳三は考えた。なんとかせなあかん。原料単価が安いことから魚肉ソーセージを製造したが、やはり畜肉のハムやソーセージをつくりたい。ただ、それにはもっと技術を磨かなければいけない。一旦工場を閉めて魚肉ソーセージづくりを中止し、傳三は図書館や兵庫県衛生試験所に足繁く通い、食品に関する文献を読みあさって知識を身に付けていった。それと並行してハム・ソーセージづくりで重要な温度管理と塩漬け技術を駆使した熟成の技術も学んでいった。

超ロングセラー商品の開発が始まる

初代のポールウインナー。発売以来、その製造レシピはほとんど変わっていない

初代のポールウインナー。発売以来、その製造レシピはほとんど変わっていない

そして34年、2度目の捲土重来を果たし、のちに超ロングセラー商品となるソーセージを開発した。そのきっかけは、傳三が「生産する技術には十分な能力と自信はあったが、資本を要するボンレス、ロース、ソーセージ類だけではとても太刀打ちできない。とすれば、同業者でできないもの、創作的なものを工夫しなければいけない」(伊藤傳三著『続け根性』)と決意したことだった。ハム・ソーセージを製造するには膨大な資本が必要だが、当時の傳三にはそこまでの資本力がなかった。ならばアイデアで勝負しよう。その結果考えついたのが、ケーシングに天然腸ではなく天然素材のセロハンを使うことだった。

当時、飴や薬品の包装材にセロハンが用いられていた。セロハンは細菌を通さず衛生的で長期保存でき、容易に手で裂けるので開封性がよかった。また、包装に用いられない部分が端材として大量に廃棄されていた。これを再利用すれば原料にも困らないと傳三は考えた。

傳三は竹製のかね尺の物差しを紙やすりで削ってケーシング製造の型をつくった。この型に幅6-7cmのセロハンを巻き、両端を糊で接着してケーシングに仕上げた。糊もコンニャク粉を原料とした特殊な糊を用いた。最初はアラビア糊(天然のアラビアゴムを原料とする天然糊)で接着したが、アラビア糊は水に弱く、ソーセージの水分によってケーシングが膨張して接着部から破裂してしまうため、水にぬれても剥がれにくいコンニャク糊に替えた。

セロハンのケーシングに詰める原料は豚肉85-90%、兎肉10-15%の合挽き肉(現在は兎肉を使用せず、豚肉、マトン、牛肉の合挽き肉)。これに独特な味付けをしてから微妙な温度管理のもとで熟成させる。セロハンで包んだウインナーソーセージだから「セロハンウインナー」。傳三は夫婦2人で手づくりし、1人で売って歩いた。天然腸のケーシングのソーセージは1つひとつの大きさがまちまちだが、セロハンウインナーは1本の大きさを1匁(もんめ=37.5g)に統一したため、地元神戸のバーやカフェなどの飲食店から売上の計算が立てやすいと引合いが殺到した。

また、そのおいしさから酒のつまみとしてバーやカフェの客の間で人気を呼び、次から次へと売れていった。となると夫婦の手づくりでは間に合わなくなる。さっそく工場を建設することになったのだが、セロハンウインナーがヒットしているといはいえ、工場の建設資金を自前で用意できるほどの資本力はない。そこで傳三はまたもや独自のアイデアをねん出した。

1965年、ポールウインナーの生産は手づくりから自動化に移された

1965年、ポールウインナーの生産は手づくりから自動化に移された

「セロハンウインナー引換券」だ。5円券(11枚)と10円券(22枚)の2種類の引換券をつくり前金制で販売した。購入者も前払いだが1割分の得をする。いわゆるプリペイド式の販売であり、それにより得た資金で傳三は工場を立ち上げ、量産体制を整えていった。

量産体制を確立すると販売エリアも神戸から大阪へと広げていった。セロハンウインナーは「セロウインナー」とも「セロ」とも呼ばれて親しまれた。立ち飲み飲食店の客の中には、外からのぞいてセロハンウインナーがないとわかると店に寄らずに帰ってしまったり、1人で10本も食べながらビールを飲むヘビーユーザーがいたりと、確実にセロハンウインナーはファンをつかんでいった。

いまだ真相はわからない

やがて伊藤食品工業は46年に会社組織に改め、翌47年にはプレスハムを開発して大量生産に成功し、58年には高級品だったハムを大衆商品に転換させるなどその事業を拡大していった。また、企業体としては48年に伊藤栄養食品工業に改組し、61年に伊藤ハム栄養食品、84年に伊藤ハムに社名を変更した。

この間の同社の成長の基盤となったのがセロハンウインナーであり、それは戦後に商品名を「ポールウインナー」に替えていまに至っている。

夫婦2人の手づくりで始まったポールウインナーも1965年には生産を完全自動化し、現在では年間1億本超が生産される。商品形態は10本入りのメインパッケージと2本入りの少量パッケージの2種類。また、発売以来レシピをほとんど変えていないが、独自の製法と味付けで他の追随を許さない。実際、過去には他社も参入を試みたがあえなく撤退している。

関西では圧倒的な人気の「ポールウインナー」。超ロングセラーでありながら全国区でないことが不思議だ(於:平和堂アルプラザ高槻)

関西では圧倒的な人気の「ポールウインナー」。超ロングセラーでありながら全国区でないことが不思議だ(於:平和堂アルプラザ高槻)

現在、ポールウインナーの売上は年間約37億円であり、そのうち92%が大阪、兵庫、京都で売れている。圧倒的に関西で売れている商品といえるし、関西以外での認知度がほとんどない商品ともいえる。全国区のメーカーがつくる80年近いロングセラーでありながら、購入されるエリアが関西偏重というユニークな商品でもある。その意味では関西の人たちにとっては、65年に学校給食に採用されて以来、幼少のころから食べ慣れているソウルフード(soul food=地域で親しまれる食品)ともいえよう。

関西偏重の売行きについては同社もその原因を把握しているわけではないが、魚肉ソーセージが関西以外では圧倒的に普及していたので受け入れられなかった、または価格が魚肉ソーセージより高かったなどが考えられるのだが、いまだ真相はわからないという。しかし、関西では世代を超えて受け継がれる伝統の味になっていることは間違いないようだ。

(文中、敬称略)

企業データ
伊藤ハム株式会社
代表取締役社長:堀尾 守
兵庫県西宮市高畑町4-27
掲載日:2012年9月26日


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