本文とサイドメニューへジャンプするためのナビゲーションスキップです。

スタートアップガイド

J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト

  • J-Net21とは
  • スタートアップガイド
中小機構
  • メルマガ登録
  • RSS一覧
  • お問い合わせ

HOME > 製品・技術を開発する > 飲食品でヒット商品をつくる

飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された!」
「マロニー」-煮崩れしにくいはるさめを開発したい
1964年に「マロニー」が発売された。なべ料理などで煮ても崩れにくいはるさめをつくりたい。そんな事業家の情熱から独自技術が開発され、つくり出されたのが「マロニー」だった。その誕生秘話を紹介する。

マロニーの創業者・吉村義宗氏(故人)は1950(昭和25)年、大阪・淡路でもやし製造会社「吉村商店」を創業した。戦後で食糧事情の厳しい時代、もやしは爆発的に売れた。が、原料である緑豆の入手と温度管理(1日に6回湯水をかける)に難の多い事業だった。

52年、吉村氏はもやしの新製法を開発して生産量を飛躍的に増加させた。さらに55年の改組(大洋産業株式会社)を経た59年に機械化工場(大阪・吹田)を完成させる。手作業から機械でもやしを大量生産する時代に突入したわけだが、一方で原料の高騰や市場でだぶつくもやしの乱売による値崩れなども起きるようになる。

また、流通形態も青果市場から直接小売へ納品するように変わっていき、その結果、小回りのきいた配送サービスが市場で生き残る決め手になっていった。ビジネススタイルが変化するもやし市場を見ていた吉村氏は、これ以上の事業拡大は難しいと考えた。

「マロニー」誕生

そんな最中に吉村氏が発想したのが「はるさめ」だった。しかし、ただのはるさめではない。溶けにくいはるさめだ。62年、吉村氏はそのアイデアを形にすべく大阪府立工業奨励館の門を叩いた。従来、日本のはるさめは煮ると崩れてしまうものだったが、これを溶けにくいものにしたい。しかも、生産は当時のような家内工業的なものでなく、機械による完全自動化を思い描いた。当時のはるさめの製法は手間がかかり、かつ機械化するには難しい工程だったが、そんな困難に挑戦したい。その熱意に府立工業奨励館も興味を示し、吉村氏と府立工業奨励館による共同開発がスタートした。

はるさめの製法はつぎのような工程になる。

1.でんぷんにでんぷん糊液を加えて混ぜ、ドロドロにする

2.これをトンピョウ(底に穴のあいた円筒)に入れ、自重で細線状に降りてきためんを熱湯に入れて糊化する

3.糊化しためんを竿に掛けて冷却し、さらに一晩凍結冷蔵する

4.翌日にめんを水中で解凍・漂白し、つぎに天日で乾燥して完成

2の工程ではるさめに水分(熱湯)を補うのは透明糊化させるためだが、水分を補充することではるさめ自体の強度が弱くなってしまい、なべ料理などの熱湯に入れると煮崩れしてしまう。これを吉村氏は解決したかったのだ。

吉村氏が府立工業奨励館と共同で開発したのが、2の工程ではるさめをめん状にせず薄いシート状にし、それを加熱して透明糊化させる製法だった。さらに透明糊化したシートに強度と安定した透明度を与えるため、原料である緑豆のでんぷんにじゃがいものでんぷんを加えた。

1964年に発売された「マロニー」だが、知名度がないこととパッケージから中身が見えないことから、消費者はなんの商品かすぐには理解できず、結局、返品の山となってしまった

1964年に発売された「マロニー」だが、知名度がないこととパッケージから中身が見えないことから、消費者はなんの商品かすぐには理解できず、結局、返品の山となってしまった

3の工程の前に薄いシートをカットしてめん状にするのだが、細断方法の開発でも刃の種類や機械の仕様などを丹念に調整しながら詰めていった。また、めんの乾燥速度も最適値を求めてトライ&エラーを繰り返した。

そして63年、上下面はつるつるで側面に少し気泡の入ったザラザラ感のあるめんが出来上がった。つるつるの上下面は舌触りのよさを、気泡は味付きのよさを生みだした。

ネーミングにも多くの候補が上がった。「マーメン」「ハイネン」「マイグリーン」「ハイグリーン」。それら候補の中から、新製法によるめんのまろやかな感じを表現した「マロニー」に決まった。

発売してみたものの返品の山

発売当初のパッケージデザインを一新。すき焼きの写真を載せ、基調色を黄色に変更し、商品の訴求を図った

発売当初のパッケージデザインを一新。すき焼きの写真を載せ、基調色を黄色に変更し、商品の訴求を図った

64年6月、満を持してマロニーはテスト販売された。しかし、1カ月後には全品が返品。売場に並んだのはいいが、まだ知名度がなく、パッケージも商品名が記されているだけで中身も見えないことから、消費者にはひと目でなんの商品かを理解できなかったのだ。そこで同年8月にすき焼きの写真を挿入し、黄色を基調にしたパッケージに変更して商品の訴求を図った。

65年5月には製法特許を取得したが、売上げはなかなか上がらなかった。67年には水で戻す手間を省いた「生マロニー」を発売し、社名もヨーサン食品に変える。さらに68年秋から69年春にかけ、原料をコーンスターチとじゃがいものでんぷんに変更し、煮ても溶けにくいマロニーの特徴を向上させた。こうした取組みによってマロニーの売上向上を図ったのである。

一大ブレークはテレビCMから

2006年に発売された「マロニーで食べよう」シリーズ。第1弾はマロニーを中華めんに見立てた2種類の即席商品だった(写真はその1つ「練りゴマ坦々麺」)

2006年に発売された「マロニーで食べよう」シリーズ。第1弾はマロニーを中華めんに見立てた2種類の即席商品だった(写真はその1つ「練りゴマ坦々麺」)

そうした中、マロニーの一大ブレークのきっかけはテレビCMだった。94年、女優の中村玉緒を起用し、彼女が口ずさむ「マロニーちゃん♪」のフレーズで一挙に全国での知名度を上げた。それまでマロニーの売上げの大部分が関西だったが、日本全国へと販売エリアを広げていった。

ただ、なべ料理の食材として広く知れ渡ったため、売上げの半分は11月から翌年1月の3カ月間に集中してしまう。そこでなべ料理以外の食材用途を広げるべく、2000年代に入るとマロニーの商品展開で新機軸を打ち出した。

その第1弾として、06年に調味料とマロニーをセットにした商品「マロニーで食べよう」を発売した。この新商品では、マロニーを中華めんに見立てて坦々麺とタンメンの2種類の即席商品(「練りゴマ坦々麺」「しおタンメン」)を開発した。マロニーを使って坦々麺(タンメン)を食べようという提案だった。


「マロニーで食べよう」シリーズ第2弾の「焼マロニー」も2種類が2007年に発売(写真はその1つ「しお炒め」)

「マロニーで食べよう」シリーズ第2弾の「焼マロニー」も2種類が2007年に発売(写真はその1つ「しお炒め」)

「マロニーで食べよう」はシリーズ化され、07年には第2弾として「焼マロニー」のカテゴリーで「XO醤炒め」「しお炒め」の2商品が発売された。湯麺のつぎは炒め麺。ビーフンのような感覚でマロニーを楽しみましょうと提案した。

「焼マロニー」はシリーズとして08年にも「麻婆マロニー」「海鮮しお炒め」の2商品をリリースした。


売上げは日本全国まんべんなく

06年に発売の「プチ!プチ!海藻麺」。マロニーとは異なりでんぷん以外を原料(海藻のぬめり成分)とした商品

06年に発売の「プチ!プチ!海藻麺」。マロニーとは異なりでんぷん以外を原料(海藻のぬめり成分)とした商品

現在、「マロニーで食べよう」シリーズは休売しているが、雑誌メディアや自社サイトを通してスパゲッティ、ヌードル、ちゃんぷるなどの料理でマロニーを使うレシピを提案している。また、06年には「プチ!プチ!海藻麺」というでんぷん以外の原料(海藻のぬめり成分で食物繊維の仲間)の商品も開発した。こうしたレシピおよび商品展開が効を奏し、かつて売上げの70%が関西(30%が関東)だったものが、最近は関西、関東ともに50%の売上へと変化している。

ただ、売上げ(約28億円=2011年7月決算)のほとんどが基幹商品のマロニーであり、かつ販売対象の90%以上が一般消費者であることから、今後ともマロニーの販売を伸ばすため、業務用途での拡販をめざし、営業体制を見直して外食・中食産業などへのアプローチを強化している。

企業データ
マロニー株式会社
代表取締役社長 河内幸枝
大阪府吹田市中の島町2-26
掲載日:2012年1月10日


このページの先頭へ