本文とサイドメニューへジャンプするためのナビゲーションスキップです。

スタートアップガイド

J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト

  • J-Net21とは
  • スタートアップガイド
中小機構
  • メルマガ登録
  • RSS一覧
  • お問い合わせ

HOME > 製品・技術を開発する > 飲食品でヒット商品をつくる

飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された!」
「ポッキー」-プレッツェル全体にチョコをかけなくてもいいのでは?
チョコレート市場で板チョコが全盛だった時代、プレッツェルにチョコをコーティングしたスナックチョコが発売された。細長いプレッツェルの全体にチョコをかけるのでなく、指でもてる部分だけを残したユニークな形状だった。その名は「ポッキー」。
ところで、どのようにしてこの形状が生まれたのか…。

1950年代後半から60年代半ばにかけ、チョコレート市場は板チョコの全盛期だった。各菓子メーカーはつぎつぎと新商品を市場に投入し、まさに板チョコはチョコレート商品の激戦区だった。

そこにスナックチョコという新しい商品スタイルで波紋を投げかけたのが江崎グリコの「ポッキー」だった。細長いスティック状のプレッツェルにチョコをコーティングした斬新なチョコレート菓子。このもの珍しい商品がチョコレート市場で戦っていけるのか。社内でも疑問の声が大きかった新商品だったが、それも杞憂に終わるほどの大ヒットを飛ばしたのだ。

その誕生物語をつづろう。

社内からは厳しい声も

開発のきっかけは63年に発売した「バタープリッツ」の大ヒットだった。スティック状で持ちやすい新しいタイプのスナック菓子。このプリッツにチョコをかけて食べたらおいしいのではないか?プリッツのヒット後、社内のあちこちで挙がった声だった。そしてそのアイデアは開発担当者たちも持っていて、社内で声が挙がる頃にはすでにスナックチョコにするための研究を重ねていた。

研究では、プリッツ全体にチョコレートを約1グラムかけるともっともおいしいことを突き止めていたが、これを1本ずつ銀紙で包んでいたのではコストが高くなりすぎる。研究当時、プリッツ全体にチョコをコーティングし、食べるときに手が汚れないよう銀紙に包むという商品形態が社内で共通した考えだった。このときはまだ、手で持つ部分だけチョコをかけないというアイデアは浮かばなかったのだ。だから、銀紙での包み方を工夫し、少しでも銀紙の使用量を減らしてコストを抑えるなど開発を続けていた。

試作品を並べて包み方のアイデアを練る。そんな日々を重ねるうち、ある開発担当者は考えた。プリッツ全体にチョコをかけなくてもいいのではないか?6分目、7分目、8分目…、チョコをかける割合を変えてみる。先輩の開発担当者も「これなら持つ部分があるな」と興味を示し、2人で試作を繰り返しながら、手で持つ部分を約2センチとしたプロトタイプを完成させた。

これにより手で持てることから銀紙での包装を不要にし、コスト面の大きな課題を克服することで製品化へ大きく前進した。新製品は、バタープリッツにビターチョコをかけ、子どものおやつの適量として1箱40本入りとし、パッケージのサイズは片手でもてる大きさとした。

また、チョコレートをコーティングしてそのまま袋に入れているため、チョコレート同士がくっついたり、すれ合って汚れないか試作品を営業車に乗せ大阪市内を走り確認した。こうして製品化の試験をクリアしたことにより、66年1月、大阪・寝屋川市を中心とした数十の菓子店でのテスト販売が決まった。

しかし、テスト販売の段階になっても必ずしも社内のすべてが肯定的に捉えているわけではなかった。「プリッツの系列商品なのだろうから、売上げもプリッツの1-2割程度だろう」「板チョコに比べて味のレベルで負けているのではないか」と商品の味や売上げへの厳しい批評のほか、製造上の機械化が大変なことからチョコはプリッツ全体にかけるべきだと全面否定に近い意見も出された。

確かにプリッツの一部だけチョコをコーティングしない形態を機械化するためには、新しく機械や製造工程を設計しなければならない。そのためテスト販売は決まったものの、テストプラントはつくられず、研究所に作業場を設け、横にしたプリッツを人の指で回しながらチョコレートをコーティングしてテスト製品をつくるという難行苦行の船出だった。

66年にテスト販売された「チョコテック」。ポッキーの前身だ。

66年にテスト販売された「チョコテック」。ポッキーの前身だ。

テスト販売の商品名は「チョコテック」。ポッキーではなかった。商品形態のチョコスティックをもじったことと、テクテク歩きながら食べられるスナックであることの意味をかけ合わせたネーミングだった。そして店頭のPOPには「ポッキン、ポッキン新型チョコ」のキャッチフレーズをぶつけた。これは後のポッキーのネーミングにつながるコピーライトだった。

寝屋川周辺でのテスト販売は大成功だった。予想以上の売れ行きを示し、続いて10月に広島県でもテスト販売を実施。若い女性をターゲットにした広告展開もあいまって、広島でも寝屋川同様にテスト販売は大成功だった。これで本格発売ができる。そう断を下したグリコは、「ポッキーチョコレート」を67年に京阪神の地域限定で発売し、翌68年に全国発売した。そして70年には30億円以上を売り上げるほどの大ヒット商品に押し上げたのだった。

67年に地域限定発売、68年に全国発売された「ポッキーチョコレート」

67年に地域限定発売、68年に全国発売された「ポッキーチョコレート」

ここでネーミングについて補足しよう。既述のように、世の中に初めて登場したときのポッキーの商品名はチョコテックだった。それがなぜポッキーになったのか?大きな理由は第三者が商標登録していたことだ。そのため、広島でのテスト販売のときには「ポッキーチョコレート」に改名していた。食べるときの音「ポッキン」を擬音化してポッキーにしたのだが、それには、プリッツのテレビCMでは「カリポリカリポリ」と食べる音、アーモンドチョコレートでは「カリッ」とアーモンドを噛みくだく音を効果音として若者から評価されていたことがバックボーンにあった。

食シーンを提案した長期のキャンペーン

ポッキーは、71年に「アーモンドポッキー」、76年に「いちごポッキー」とそのフレーバーのバリエーションを広げていった

ポッキーは、71年に「アーモンドポッキー」、76年に「いちごポッキー」とそのフレーバーのバリエーションを広げていった

さて、ポッキーは発売直後から大ヒットしたが、消費者も味に慣れてくると欲が出てきた。チョコだけではもの足りない、他の味もほしいと。そこで71年に「アーモンドポッキー」、76年には「いちごポッキー」を発売し、フレーバーのバリエーションを広げた。いちごポッキーは子どもを取り込むための商品開発だった。

このアーモンドといちごのフレーバーは、89年に「アーモンドクラッシュポッキー」、90年に「ポッキーつぶつぶいちご」を派生商品として生み出している。その目的は高付加価値の提供にあった。

また、86年には男性消費者をターゲットに「ポッキービター」、96年には「メンズポッキー」を発売した。

このようにポッキーのフレーバーは、時代とともに変遷する消費者の価値観や嗜好性に応じて開発されていった。

ポッキーは時代に応じたフレーバー展開だけでなく、やはり時代に応じて「食べ方」を提案し続けてきた。そのきっかけが、73年のオイルショックを契機とした消費者の価値観の変化だった。消費に対して質や量だけでなく、意味づけや感覚に訴える効果も求めるようになった。そこでポッキーは食べるシーンを提案するコマーシャルを展開する。第1弾として76年にインドアシーンとして「ポッキー・オン・ザ・ロック」をキャンペーンした。

氷を浮かべたブランデーグラスにポッキーを入れて食シーンを演出する。冷やしたチョコレートの意外性とおしゃれな雰囲気を訴える。そのキャンペーンのヒントは、札幌にあった。当時、札幌に出張した社員がバーで飲んでいると、ポッキーが出てきて店内の客がマドラー代わりにグラスの中をゆっくりと回す。そしてマドラーの役目が終わると口に入れてポリポリ食べるのだ。冷えたポッキーが思いのほかおいしい。これをヒントに「ポッキー・オン・ザ・ロック」のキャンペーンが生まれた。ヒントの源と同様に、キャンペーンも東京や大阪のバー、スナックから浸透し、アルコールのつまみとして流行した。それがやがて家庭へと浸透していったのだ。

第2弾はアウトドアシーンとして77年に展開した「旅にポッキー」のキャンペーンだった。当時、若い女性の間に旅行ブームが広がり始め、その流行に乗るように旅先でポッキーを食べる提案をした。キャンペーンキャラクターには岡田奈々が初代、松田聖子、菊池桃子、本田美奈子、南野陽子などへとつなぎながら88年まで長期にわたるキャンペーンとなった。

食べ方の提案をしたポッキー。アウトドアシーンとして77年に展開した「旅にポッキー」のキャンペーンは88年まで続いた

食べ方の提案をしたポッキー。アウトドアシーンとして77年に展開した「旅にポッキー」のキャンペーンは88年まで続いた

シンプルなスナックチョコだからこそ…

ポッキーは発売から5年ほど経過した70年代から80年代後半までを拡大期としてフレーバー展開(アーモンド、いちご)、食シーンの提案を図ってきた。さらに90年代は半ばまでを多様化期として高付加価値化(アーモンドクラッシュポッキー、つぶつぶいちごポッキー)を目指し、90年代後半からは基本価値の強化期として商品力(メンズポッキー、ポッキー極細など)の強化に注力している。

いずれの時代を通しても、オリジナルのポッキーはプレッツェルにチョコをコーティングしたシンプルなスナックチョコだ。持つ部分がありながらチョコをコーティングした商品形態は、開発当初こそ稀有な発想の商品(69年に実用新案として登録)だったが、いまや消費者からは他社の類似商品までポッキーと総称されるほどデファクトスタンダードになっている。

2011年の新フレーバー「ポッキーソルティ」。ミルクチョコの甘みと塩味のバランスを表現する

2011年の新フレーバー「ポッキーソルティ」。ミルクチョコの甘みと塩味のバランスを表現する

シンプルだからこそ、プレッツェルの食感、チョコレートのカカオ感、そしてプレッツェルとチョコのコンビネーションが商品の生命線になる。その生命線を維持するため、ポッキーは時代の変遷に合わせた改良を続けている。今秋(11年)もプレッツェルの“ポキッ”とした食感に徹底してこだわり、その製法と配合を見直して心地よい食感と口どけのよさを実現した。

それはまさにロングセラーを続けるための基本であり、それを忠実に実行するからこそ半世紀近くも商品力を維持し続けられるのだろう。

そして2011年、新しいフレーバーとして「ポッキーソルティ」を発売した。ミルクチョコレートの表面に塩と砂糖の結晶をトッピングし、ミルクチョコレートの甘みと塩味のバランスを表現している。オリジナルのポッキーを進化させながら、常に新しいフレーバーも提案していく。シンプルなロングセラー商品は時代に即応した提案を続けていくのである。

企業データ
江崎グリコ株式会社
代表取締役社長 江崎勝久
大阪市西淀川区歌島4-6-5
掲載日:2011年11月 2日


このページの先頭へ