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飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された!」
「カラムーチョ」-世の常識に反しようとも貫き通した辛いスナック菓子づくり
創業以来、「独創的でユニークな商品開発」をモットーとする湖池屋。その本領を発揮するかのように、1984年に「カラムーチョ」を開発した。激辛ブームの先導役といわれたこのスナック菓子は、その後の同社の新商品開発路線の基ともなった。
“独創的でユニークな商品”を体現したカラムーチョ、その開発の背景とは...

いままでにないユニークな商品を開発する。それがカラムーチョ誕生のキッカケだった。カラムーチョの発売は1984年、当時の湖池屋の主力商品は「コイケヤ ポテトチップス のり塩」。自社商品をポテトチップス市場でさらに拡大させていくには、型破りな発想の、まったく新しい商品・カテゴリーが必要と考えた。それが激辛のスナック菓子・カラムーチョだった。が、開発当初の評価は散々。「こんなもの辛いもの売れるはずがない」。内外から“激辛”な評が飛び交った。

そんな逆境を跳ね返して発売されたカラムーチョ。その激辛スナック菓子の話の前に、当時の主力商品の誕生から話を始めよう。

もっとユニークな商品を開発しよう

湖池屋の設立は1958年。先代社長の小池和夫氏(創業者)がおつまみ菓子のメーカーとして起業した。当初はポップコーンやミックス菓子を製造していたが、その後、ほどなくして和夫氏にポテトチップスとの運命的な出会いが訪れる。それについて湖池屋の純粋持株会社フレンテの広報部員・山岡歩見さんは説明する。

「和夫前社長がお店で仕事仲間とお酒を飲んでいたとき、ポテトチップスがおつまみに出されました。それを初めて口にして“こんなおいしい食べものがあったのか”といたく感動したそうです。そして、なんとかこれをたくさんの人に食べてもらえるようにできないか。そう考えて自ら製造に乗り出したのが、“コイケヤ ポテトチップス”です」

湖池屋の創業者・小池和夫氏がポテトチップスを発売したのが1962年。以来、湖池屋の主力ブランドとして同社を牽引している

湖池屋の創業者・小池和夫氏がポテトチップスを発売したのが1962年。以来、湖池屋の主力ブランドとして同社を牽引している

ポテトチップスをつくる。それまでの「お好み揚げ」など揚げ菓子を中心としたおつまみから、ジャガイモを原料とした新たな菓子づくりへの挑戦だった。が、原料が違えば菓子づくりの勝手のなにもかもが違ってくる。例えば原料のジャガイモ。当時のジャガイモは、肉じゃがやコロッケなどに使われる糖分の多い品種だった。が、これをスライスして油で揚げると焦げやすくなってしまう。ポテトチップスには適さないのだ。おいしい揚がり具合の製品を安定的に生産するには糖分の少ない品種のジャガイモを探さなければならなかった。

また、当時はすべて手作業。直径1m以上もの大鍋を手で操ってスライスしたポテトを揚げる。原料の品種の他にも、揚げる温度や時間の見極めにも四苦八苦した。機械化された現代とは違い、重労働な試作が繰り返された。

こうした苦難の末に「コイケヤポテトチップス のり塩」が発売された。62年のことだった。当初は作業者が釜で揚げる製法だったが、67年には専用のオートフライヤー(自動揚げ物機)を導入して生産効率を上げた。それに伴って生産量もどんどん増大していった。日本で初めてのポテトチップスの量産化だった。

70年代半ば、数社の強力なライバル企業がポテトチップス市場に参入。市場をさらに牽引していくためには、通常のポテトチップスだけでなく、もっとユニークで独創性のある商品が必要だ。それはなにかを模索し始めた。

世の中とは違う異端な発想

1984年「カラムーチョ」が発売された。“辛い菓子など売れるわけがない”との周囲の厳しい批評を跳ね返し、発売後瞬く間に爆発的ヒット商品となる

1984年「カラムーチョ」が発売された。“辛い菓子など売れるわけがない”との周囲の厳しい批評を跳ね返し、発売後瞬く間に爆発的ヒット商品となる

当時の市場を綿密に調査、分析してみると、1つのことに気がついた。辛い菓子が少ない。いや、ほとんど皆無といっていい。ならば辛いスナック菓子をつくってみたらどうか。当時としては異端な発想だった。スナック菓子は主婦や子供の食べものと認識されていた世の中で、辛い味を商品化しても売れるわけがない。誰もがそう考えた。それが常識と思われた時代だったから異端な発想とみなされた。

ところが湖池屋は世の中とは異なる発想をした。広報課長の山口直哉さんは語る。

「日本人は昔から辛い味が好きで、例えば唐辛子には古くから親しんでいます。とすれば、菓子に対してもその潜在需要は大きいのではないか。湖池屋はそう考えました。が、そうした新商品への発想に対して、当時の社内では賛否両論が渦巻き、侃々諤々の議論を重ねたようです」

日本人の辛味に対する古くからの嗜好性に着目すると同時に、米国から仕入れた情報からも辛味に対するヒントをつかんでいた。それは当時、開発担当者が米国を訪れた際、メキシコ料理が流行っていることに目を付け、辛いチリ味が日本でもウケるのではないかと予感していたことだった。

米国でのメキシコ料理ブーム、そして日本人の辛い味好きを熟考し、「最終的には社長が英断を下し」(山口さん)、商品化の方針が決まった。

カラムーチョのユニークなキャラクター「ヒーおばあちゃん」。「ヒーヒーおばあちゃん」と共に話題を呼び起こし、カラムーチョの知名度を上げた

カラムーチョのユニークなキャラクター「ヒーおばあちゃん」。「ヒーヒーおばあちゃん」と共に話題を呼び起こし、カラムーチョの知名度を上げた

辛くておいしいスナック菓子をつくる。開発テーマが決まると、さっそくフレーバーづくりが始まった。数多くの辛味の研究と日本人の好みに合い、辛くておいしいポテトチップスにこだわった味の開発を進めていった。

新商品の原料はジャガイモで、これを油で揚げて辛い味付けをする。いわゆるチリ味のポテトチップスだが、その形状は薄くスライスしたフラットな形(一般的なポテトチップスの形状)ではなく、細長いスティック状にした。これならフラットタイプに比べてフレーバーの乗りがよく、より濃い味付けにできる。スナック菓子業界の常識を覆す商品コンセプト「辛くておいしい」を訴求するため、スティック状は辛味を出しやすくできる形状だった。

84年、湖池屋は辛くておいしいスナック菓子を発売した。ブランド名は「カラムーチョ」。ちょっと奇抜なネーミングだった。カラは辛いの訓読み、そしてムーチョは「たくさん」を意味するスペイン語。日・西語の造語であり、「辛いポテトチップスをもっと食べて」という願いを込めた。また、そのネーミングには願いばかりでなく、スペイン語の“ムーチョ”というポップな語感を楽しむ、湖池屋の遊び心も垣間見られた。

激辛ブームの火付け役となる

これはおもしろいとコンビニの売り場に置いてもらうことができました。これがヒットの起爆剤になったのです」とカラムーチョのヒットのきっかけを語る広報部次長・一ノ瀬雅宏さん(左)。中は山口直哉さん、右は山岡歩見さん

これはおもしろいとコンビニの売り場に置いてもらうことができました。これがヒットの起爆剤になったのです」とカラムーチョのヒットのきっかけを語る広報部次長・一ノ瀬雅宏さん(左)。中は山口直哉さん、右は山岡歩見さん

発売時のカラムーチョの価格は200円と高価格帯に設定された。他社のポテトチップスが100円程度の時代に200円、しかも辛いスナック菓子という前代未聞の新商品だったため、卸など流通の取引先との商談の反応は惨憺たるものだった。

「なにを考えてこんな商品をつくったのか。こんな辛い商品、売れるわけがない」

辛辣だった。商品同様の“辛口”の評価ばかりだった。しかし、そんな酷評に直面しても創業者の和夫氏と現会長の孝氏は確信していた。必ず売れると。そこでトップ自ら小売業界へ営業に奔走する。当時の状況について広報部次長の一ノ瀬雅宏さんは語る。

「あちこちの小売業者にトップセールスをしましたが、結果はなかなか厳しかったようです。そうした中である大手コンビニチェーンだけが前向きに対応してくれました。これはおもしろいじゃないの、と売り場に置いてもらうことができました。これがヒットの起爆剤になったのです」

発売後瞬く間にカラムーチョの売行きに火がついた。ヒット商品へと歩み始めたのだ。その結果、件のコンビニチェーンではその年のすべての食品の中で、カラムーチョがトップの売上を記録した。

ヒット商品の誕生に方程式はなく、ほとんどが予期せぬところから生まれる。が、カラムーチョが発売されたころになると、ヒットへと誘導する1つの因子が存在するようになっていた。コンビニの存在だ。コンビニは単なる便利な小売店ではなく、"情報発信基地"の役目を担っているため、そこで売れればヒット商品につながっていく。そんな傾向が顕著になり始めていた。

ご多分にもれずカラムーチョもコンビニからヒット商品へと育っていった。しかも、発売当初はまったくテレビCMをせず、口コミと営業の努力だけで人気が燎原の火のごとく広がっていった。

また、ヒットをすれば他社も追随してくるが、それを迎え撃つカラムーチョはコンビニのみならず販路を全国のスーパーへと急速に拡大していった。そしてカラムーチョは辛いスナック菓子という新しい市場を開拓していき、発売2年後の86年には“激辛ブームの火付け役”と評された。86年から87年にかけて日本の食品市場に激辛ブームが巻き起こったが、その先駆けとなったのがカラムーチョだったのだ。

激辛ブームの86年にカラムーチョはフラットタイプを発売した。このころからテレビCMを始め、ユーモラスなキャラクターを生み出した。それが「ヒーおばあちゃん」と「ヒーヒーおばあちゃん」。辛さを口にすると“ヒー”とその反応を1回発するのが、ヒーおばあちゃん。西南の役の1877年生まれの設定だ。一方、ヒーヒーおばあちゃんはペリー来航の1853年生まれの設定で、辛さに対して“ヒーヒー”とヒーを 2回発する。この2人のユーモラスなキャラクターが話題を呼び起こし、カラムーチョの知名度はさらに上がっていった。

発売当初のカラムーチョのメインユーザーは、コンビニで酒類を買う若い男性だった。やがてヒットに伴って購買層は中高生にも広がり、いまでは小学低学年から主婦、高齢者にまでそのすそ野が広がっている。

湖池屋はカラムーチョの開発を皮きりに独自性の強い商品をつぎつぎと生み出していった。「ポリンキー」しかり「ドンタコス」しかり。また、それらの商品開発には独自性、ユニークさといった他社との差別化路線だけでなく、「メガブランドになるまでじっくりと育てていく」という商品戦略も明確に示されている。その発端となったのがカラムーチョであり、その後の湖池屋の商品開発路線を確立し、「コイケヤ ポテトチップス」に並ぶ主力ブランドに君臨している。

企業データ
株式会社湖池屋
代表取締役社長 田子 忠
東京都板橋区成増5-9-7
TEL 03-3979-2115
掲載日:2010年12月15日


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