本文とサイドメニューへジャンプするためのナビゲーションスキップです。

スタートアップガイド

J-Net21 中小企業ビジネス支援サイト

  • J-Net21とは
  • スタートアップガイド
中小機構
  • メルマガ登録
  • RSS一覧
  • お問い合わせ

HOME > 製品・技術を開発する > 飲食品でヒット商品をつくる

飲食品でヒット商品をつくる


「あの人気商品はこうして開発された!」
「ポカリスエット」“汗の飲料”をつくれ!-それは2人のアイデアから始まった
“汗の飲料”をつくれ。そのひと言から始まった。日常生活での発汗により失われる水分と電解質を補う飲料をつくる。やってはみたものの、ちっともおいしくない。試作品を口にした社内の反応も圧倒的に“まずい”だった。
汗の飲料。この一瞬ドキリとするようなコンセプトの商品「ポカリスエット」はどのようにして開発されたのか

「初めてポカリスエットを飲んだ時の味は忘れもしません。びっくりしました。なんだ、このしょっぱい味は?と」ポカリスエットプロダクトマーケティングマネジャー、河野敦夫さん

「初めてポカリスエットを飲んだ時の味は忘れもしません。びっくりしました。なんだ、このしょっぱい味は?と」ポカリスエットプロダクトマーケティングマネジャー、河野敦夫さん

「初めてポカリスエットを飲んだ時の味は忘れもしません。大学時代にサッカーの練習を終えた後、発売間もないポカリスエットを買って飲んでびっくりしました。なんだ、このしょっぱい味は?と」

大塚製薬のポカリスエットプロダクトマーケティングマネージャー、河野敦夫さんは初めてのポカリスエットの想い出を口にした。

発売直後のポカリスエットは、大なり小なり河野さんと同じような印象を消費者に与えていたようだ。清涼飲料なのに甘くない、おいしくない、と。

そんな印象をもって発売されたポカリスエットだが、ある意味では清涼飲料の常識を打ち破った新商品と言えよう。なぜなら、「言葉にできないおいしさ」「いまだ体験したことのないおいしさ」など、巷にありがちな清涼飲料のキャッチコピーとはま逆の“おいしくない味”だったのだから。そのうえ容器には「スエット=汗」の文字。商品名も少し、いやだいぶ奇妙だった。

そんな清涼飲料だったのだから、すんなりと消費者に受け入れられなかったのは当たり前と言えよう。それがなぜ、今も支持され続けるロングセラー商品となったのか-。

それは2人のアイデアから始まった

1980年に発売されたポカリスエット。当時は245mlの缶入りだった。市場の評価は“摩訶不思議な味”と芳しくなかった。

1980年に発売されたポカリスエット。当時は245mlの缶入りだった。市場の評価は“摩訶不思議な味”と芳しくなかった。

ポカリスエットは1980年に発売された。当時の日本には米国からジョギングブームが上陸し、走って汗をかく快感が人々に広がり始めていた。

ポカリスエットが世に誕生するきっかっけは73年、2人の男の頭に浮かんだ発想からだった。そのうちの1人が当時の技術部長・播磨六郎氏。播磨氏は同じ年に「飲む点滴」を思い浮かべた。そしてもう1人が当時の徳島工場長・大塚明彦氏(76年に社長就任、現在は大塚ホールディングス会長)。大塚氏は「汗の飲料」ができないかと考えた。

特に播磨氏の発想は壮絶な体験に基づいている。73年に清涼飲料の原料を視察するためにメキシコへ出張、そこで水事情の悪さから腹をこわしてしまった。外国人がしばしばかかる感染症だ。スペインに滅ぼされたアステカ王朝最後の王・モクテスマ二世の恨みと言い継がれ、現地で「モクテスマの復讐」と呼ばれる感染症だった。

その復讐に七転八倒して入院。診察した現地の医師は播磨氏に抗生剤と炭酸飲料を与えてこう言った。

「体内の水分と栄養分が失われているから、とにかく水分を飲んで、後で栄養を摂るように」

その言葉にヒントを得て播磨氏は「水分・電解質の経口補給飲料」、つまり「飲む点滴液」をイメージしたという。そして帰国後に大塚氏にその思いを報告した。が、それを聞いた大塚氏は「まだ機が熟していない」と判断した。商品化にはまだ早すぎる、と。

そして時を経て77年、社長に就任していた大塚氏からポカリスエット開発の本格的な検討が播磨氏たちに指示された。ポカリスエットの発想の原点は両氏の「汗の飲料」であり「飲む点滴液」。どちらのアイデアも"水分と電解質を補給する飲料"を目指したものだったが、そのコンセプトを商品化するためにはいくつもの越えるべきハードルが待ち構えていた。

最初のハードルは飲みやすさ

大塚製薬は輸液(点滴液)のトップメーカーであり、輸液関連の知識を持つ人材やヒトの発汗、体内循環システムなどに関する資料は豊富だ。が、輸液と飲料とはまったく別なもの。「汗の飲料」といっても、汗に含まれるナトリウム、カリウム、マグネシウムなどのミネラル分(電解質)を原料に飲料をつくると、どうしても苦味(塩味)、えぐ味が強くなる。商品としては成立しないのだ。

すでに米国では“スポーツドリンク”が商品化されていたがまずかった。しかし、発汗で失われた水分・ミネラル補給に輸液の成分が望ましいことは国内でも戦前から明らかにされている。新商品をつくるうえで、輸液に含まれる成分をベースにすることに間違いはない。それをいかに飲みやすい商品に仕上げるかが「汗の飲料」づくりで最大のポイントになった。

徹底したサンプリング戦略で“おいしさと必要性”を消費者に理解してもらった。

徹底したサンプリング戦略で“おいしさと必要性”を消費者に理解してもらった。

繰り返された試作品は実に1000種以上にのぼった。が、なかなか決定打を見出せない。そして79年、別々に試作されていた汗の飲料と柑橘系粉末ジュースの試飲会が開かれた。そこでは大塚社長も試飲していたが、どちらの試作品もおいしくない。

「だめだ、うまくない」

そう断じた大塚社長だが、突然「できそこない同士を混ぜたらどうなるかな」と2つの試作品を混ぜてみた。それを口に含むと反応が一転。

「これ、いけるんじゃないか?」

ミネラル特有の苦味、えぐ味が抑えられていたのだった。

この経営トップのゴーサインにより、さらにさまざまな検討を重ね、ポカリスエットの商品化が決まった。ようやく飲みやすい商品づくりのハードルを超えたポカリスエット。しかし、困難はこれで終わらない。つぎに新商品を待ち受けていたのが販売のハードルだった。

おいしさと必要性を体で感じてもらう

1980年4月、ポカリスエットが発売された。245mlの缶入りと希釈用パウダーの2種類の商品。缶タイプの価格は120円。コカ・コーラ(250ml缶)が100円の時代である。この割高感に加え、味にも問題があった。消費者にとって経験したことない味だった。ひと言でいえば“まずかった”。それまで舌で記憶したことのない摩訶不思議な味の飲料に市場はとまどった。

発売後に開催されたイベント会場で試飲した消費者が「こんなもの飲ませてふざけるな!」と怒った。一部の流通チェーンや小売店からも「売れる気がしない」と疑問の声があがった。さらに、社内からも商品化に否定的な声が少なからずあった。しかし、大塚社長をはじめ開発陣には確かな自信があった。河野さんはこう説明する。

「水分は生命の営みの中で根源的に必要なものです。スポーツだけでなく、日常生活で汗をかくあらゆるシーンで必要な飲みもの。当時の社長や開発陣はポカリスエットの良さを確信していました。ですから、どんなに厳しい意見があっても強い信念で突き進むことができたのです」

摩訶不思議な味に加え、ブランドネームの「ポカリスエット」も消費者を驚かせた。なんといっても「スエット」=汗がネーミングに使われている。

さらに缶のパッケージデザインも市場の虚をついた。それまでの飲料のパッケージは赤やオレンジなど暖色系が主流。そこに青を基調とした寒色系の色調を投じた。当時の飲料業界では売れないとされた色。そのデザインにも流通チェーンは否定的だった。

これだけマイナスイメージを抱えた新商品を市場に浸透させるにはどうすればいいか。そこで着手したのが大量のサンプリングだった。商品コンセプトを浸透させる。「汗をかいて失った水分と電解質を補給する」-このコンセプトがわかってもらえれば必ず売れる。そのためにはそのシーンで飲んでもらうことが大切だ。スポーツを楽しんでいる人、暑い中で買い物をする主婦、サウナでひと汗流したばかりの人。ありとあらゆる発汗シーンに向けて惜しまずサンプルを配り、説明を重ねた。サンプルの数量は無制限。なんと3000万本をサンプルとして初年度に配布した。

2007年にエコボトルをリリース。

2007年にエコボトルをリリース。

このサンプリングが奏を功し始めた。汗をかくシーンでどんどん飲んでもらい、「そのおいしさと必要性をまず体で感じてもらおう」(河野さん)という試みこそ、商品コンセプトをダイレクトに伝えられた。それによって消費者がおいしさを体で感じ始めた結果、ポカリスエットは発売2年目の夏に大ヒットとなった。摩訶不思議な味とパッケージでマイナスイメージを抱えて発売された新商品だったが、汗をかくシーンでのサンプリングによるコンセプトの浸透により、販売のハードルを越えたのだった。

1980年に誕生したポカリスエットは、それまでにはなかった、汗で失う水分・電解質を補給する飲料という商品カテゴリーを確立し、いまや確固不動のロングセラー商品として市場をけん引し続けている。

企業データ
大塚製薬株式会社
代表取締役社長 岩本太郎
東京都千代田区神田司町2-9
TEL 03-6717-1400
掲載日:2010年11月15日


このページの先頭へ